処理能力
人それぞれ事務処理能力には違いがある。速く文章が読める人、速く文章が書ける人、計算が速い人、そんなスピードを持つ人もいれば、そうでない人も多い。クラスの中には処理能力の異なる生徒たちが散在する。できない生徒は1つ1つの作業のテンポが遅れている。「テキストを開いて」と言っているのにカバンの中を探っている。ようやく先生が説明を始めた時にテキストを開き始める。みんなが説明を聞き終えて問題を解く作業を始めても始めから説明を聞いてないから何をしていいのかわからない。流れについていけないのでドンドン勉強ができなる。この原因をつくり出しているのは、「授業をしている先生」だ。先生は授業中はクラス全員の手の動き、目の動き、口の動きに1つ1つに注意を払う。全員が聞く準備ができていないのに説明を始めない。でも、これがきちんとできる先生が少ない。私のようなナルシスト教師を除く、 普通の神経をもつ教師にとって、黙して生徒の前に数秒間立ち続けるのはバス停に立ち30分バスを待つより苦しいらしい。 しかし、私は「授業とは演じること」と思っているし教師=役者だと自負している。 大観衆を前にした舞台俳優の存在感を持ち あわてずにじっくりと構えてクラス全体を包み込む授業こそ本物の授業だ。もちろん、わかりやすい説明は基本中の基本だ。言うまでもないが、授業中に生徒の私語を許すようならやる気のある生徒の邪魔になるので教師を廃業すべし。 最近、思うことがある。私の本当の天職は「生徒に教えること」ではなく「先生に教えること」ではないかと。傲慢すぎるだろうか?