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皆さん、こんばんは。
アニメ『FORTUNE ARTERIAL』の第三話を視聴しましたが、本当に女の子が可愛らしくて素晴らしいアニメですね。 画面に白ちゃんのちんまい姿が映るたびにゴハンを掻き込む手が止まりません。おかわり。 三話まで見た感想が「女の子が可愛い」だけな辺り、真面目に視聴しろとの謗りは免れそうにありません。 女の子が可愛いというのは、我々にとって一・二を争うほどに重要な要素であるはずです。 ヒロインの容姿が魅力的だと、ただ見ているだけで楽しいわけですから…。 しかし、いつもいつも美少女ばかりだと、それはそれで食傷してしまうのではないでしょうか。 そもそも辺り一面見渡す限り美少女だらけという状況が本質的に矛盾しているのです。 人の容姿における美醜の判断とは、個々人の主観に大きく左右されるものであり、同時に限りなく相対的なものです。 モブキャラまでもが美しいという歪んだ美少女アニメの世界に、果たして真の「美少女」なるものが定義できるでしょうか。 だから私は一度言っておきたかったのです。 私が『それ町』で最も好きな女の子は針原さんだとね。
楽しそうに「ぎはぁーっ!」とか言いながら卓球やってる針原さんを見てると濡れるっ!! 彼女を見ていると、キャラクターの魅力とは容姿のみではなく、どれだけ活き活きとした人格が描けているかに拠るところも大きいのだと実感しますね。 しかしエロゲの話をすれば、所謂「ブサ面キャラ」の扱いはそれはもう酷いものです。 『ゴア・スクリーミング・ショウ』では、この業界には珍しく二人ほどアレな女性キャラが登場しますが、オプション設定によっては情け容赦なく顔面モザイクかけられますからね。 しかも性格も悪いという。まさに二重苦。 エロゲはポルノであると同時に長大な物語なのですから、たまには容姿に頼らずとも魅力的なキャラクターに出会ってみたいものです。 ……いや待てよ、容姿に頼らなくても魅力的なキャラクターが、容姿まで超絶美少女だったら凄まじいことになるではないですか。 やはり全員美少女が安牌なのか。 いや、それでも……もしも針原さんが美少女だったら、あれほど良い味は出せなかったはず。 結局、何事もバランスであり、しかしそのバランスを上手く取れる作り手が希少なため、美少女ばかりが巷に溢れ返っている、ということなのかも知れません。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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