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カテゴリ:Jordan
8月9日 朝8時にシリアのダマスカスを出発した我々の白タクは、12時過ぎにはヨルダンの首都アンマン市内に無事到着した。 と思ったら、イカツイ強面の運転手と約束したバスターミナルではなく、市街地のどこかの路肩に車を止め、ここで降りてくれと言い出した。 我々は、 「バスターミナルへ行ってくれ!!」 と4人で散々抗議した。 とても広いアンマンの街の、どこだか知らないこんな所で降ろされても困るし約束違反だ。 その辺にいたヨルダン人を巻き込んだが、ある人は我々の味方を、ある人は彼の味方をし収拾がつかなくなった。 彼としては、白タクである以上バスターミナルなど正規のタクシーがいる場所には入れない。 そこで強引にでもここで降りさせるしかないのだ。 我々は、荷物も重いし、この坂の多くて広大なアンマン市内を歩くなんて論外だ。 そして、オーストラリア人だがイスラエルの血を引くジョディがついにキレた。 20才ちょっとの彼女が強面のガタイのいい男に立ち向かっていったのだ。 イスラエル人のバックパッカーはタイのバンコクやインドに行けばどこにでもいる。 兵役が終わった若いイスラエルの男女が東南アジアにバカンスをしに行き、バンコクやインド、東南アジア各地で周りを気にもせず大騒ぎをしていて、とても評判が悪い。 中国の安宿でもこんなこともあった。 そのイスラエルの血が騒いだのだ。 私は、逆に冷静としていて、この状況からして現状を打破するのは無理だと考えていた。 運転手とすれば、シリア人の白タクとしての立場がないし、ここで無理やり降ろすしかないのだ。 ボッタくられた訳ではないし、これ位は仕方ないと割り切るしかないと思った。 そして、強面の運転手もキレだし、ついには強引に車ごと立ち去ろうとしていた。 その時、ジョディの荷物だけが車に残っていて、かなり慌てて彼女が発車した車のもとへ駆け込み、危機一髪、荷物を取り戻した。 これらの状況をみていた、我々の味方をしてくれていた地元のおじさんが色々と助けてくれた。 これからイスラエルに向かうジョディは軽食をとった。 オーストラリア人のカップルはタクシーでバスターミナルへ向かった。 私とジョディは市バスでイスラエル方面へのバスが出るバスターミナルへ向かった。 おじさんが、バスを停めてくれ、我々が無所持に等しかったヨルダンディナールのコインまでくれて、バスの運転手に説明をしてくれた。 シリアから一緒だったジョディとはバスターミナルで別れた。 彼女はイスラエルへ。 私はペトラ遺跡のあるワディムーサという町を目指した。 アンマンにはいくつかのバスターミナルがあって、ワディムーサなど南部方面へのバスは違うバスターミナルへ行かなければならなかった。 再び市バスに乗り移動した。 ヨルダンの通貨はヨルダンディナールで、 おおよそ、 1ディナール=1ユーロ ⇒1ディナール=約165円 と高い。 物価の安かったシリアに比べると、かなり割高に感じた。 そんな中、市バスでは荷物で1席分取った分、2席分の料金を取られた。 これがヨルダンという国だ。 ようやくワディムーサ行きのバスターミナルに着いた。 ここからはミニバスで移動となるのだが、ミニバスがなかなか来なかった。 値段を聞いて、運転手に乗る意思を伝えたにも関わらず、トイレから戻ってきたら私の席はなくなっていて、無常にも出発してしまった。 冷たいぞ!ヨルダン人! また30分か1時間くらい地べたに座ってバスを待った。 やっと来たと思ったら、席の奪い合いだ。 何とか席を確保して、ようやくペトラ遺跡の町へ移動となった。 不覚にも、途中で休憩したドライブインでベルギーのブリュッセルでヨーロッパを一緒に旅した連れからもらった腕時計を失くしてしまった。。 私は、日本にいるときから腕時計をする習慣がなく、そのときもシャツの胸ポケットに入れていた。 ドライブインでそのシャツを脱いだときに、どうやら落としてしまったらしい。 このシャツは呪われていたのかもしれない。 日本では、このシャツの同じポケットに入れていた定期券が、同じような状況で失くなった。 ついには、後ほどこの旅の終わりを迎える前に、このシャツ自体を失くすこととなった。 夕方、ワディムーサの町に着いた。 バレンタインインという安宿にチェックインした。 ヨルダンディナールがほとんどないので、宿で両替をしようとしたら極端にレートが悪かった。 部屋を見せてくれた従業員も胡散臭かった。 最初はないと言っていたドミトリーに何とか泊まれたが、前評判通り部屋は良いのだがちょっと胡散臭い宿だった。 幸い、世界一周中の日本人旅行者と両替をしてもらうことが出来た。 彼は米ドルが欲しかったらしく、ちょうど良かったのだ。 そんな彼は、今は北京に留学し始めていて、今では私と北京オリンピックを一緒に見に行くことになっている。 朝からダマスカス⇒ワディムーサと9時間もかけて移動してきて、疲れていたし腹も減っていた。 小さな町の中心部に買出しに出かけた。 このワディムーサという町は、ペトラ遺跡の観光客で持っているようで、物価も高くボッタクリも頻繁らしい。 いくつも商店があるのだが、水1本買うのにも労力が必要だった。 同じ水でも、店によって値段が違うのだ。 ベースとなる適正価格も他の町より高くなっていて、さらに上乗せしてくるのだ。 何軒かチェックしてから買う必要があり、明らかにボッタクリ価格を提示してきた店もあった。 市場に行ってバナナを買ったのだが、そこでもかなりの値引き交渉をした。 それでも6本で1.5ディナールと割高だった。 シリアからツーリスティックなヨルダンの町に移動してきたわけだが、物価も上がり、人々の優しさも感じられなかった。雰囲気もガラりと変わってしまった。 足早にペトラ遺跡と死海だけ見て、次の国に抜けてしまう旅行者が多いのも納得だ。 でも、このバレンタインインは高台にあり、ワディムーサの町を一望出来て、夜景がとても綺麗だったことは特筆出来る。 バレンタインインから見えるサンセット ヨルダンに来て良かったと初めて思ったこの眺め 向こうにはインディージョンズの舞台となったペトラ遺跡が ~次回、ペトラ遺跡大特集!!~ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2008.03.02 16:24:28
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