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2014年11月16日
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700年続いた家系と言うのは世界広しと言えどなかなか少ないだろう。しかも歴史に燦然と輝き続けたその家系の支配は当時欧州全土に影響を与えただけでなく、今尚その存在が語られ続けている。
ハプスブルグ家は名門中の名門の王侯貴族である。

ライン川の上流、現在のチューリッヒに近い場所にハプスプルグ家のルーツがある。
1273年ルドルフ1世(Rudolf I)(1218年~1291年)(在位:1273年~1291年)が神聖ローマ帝国(当時のドイツ域)の王に推挙された事からこの家系は発展する
7人の選帝侯によって突然選ばれたルドルフ1世(Rudolf I)は、田舎の弱小貴族で御しやすく無難な人物だと思われたからだった。
(しかしルドルフ1世は頭も切れたようだし政治手腕を持っていた。)

当時ハプスプルグ家より本命視されていたボヘミア王オタカル2世(Otakar II)は憤慨。3度の召還勧告を断った事によりルドルフ1世は皇帝令でライヒスアハト (Reichsacht)を勧告。
それは帝国内での法的権利や財産剥奪で、実質の帝国追放と同じ。

1276年帝国とボヘミア王オタカル2世の戦闘が始まる。
1278年マルヒフェルト(Marchfeld)の戦いでボヘミア王オタカル2世(Otakar II)は戦死。

戦後、ボヘミア王に帰属していたバーベンベルク家の所領、上オーストリア、下オーストリア、シュタイアーマルク、ケルンテン等がハプスブルグ家の所領となったのである。(この領地が後にオーストリア・ハプスブルグ家の誕生に繋がる。)

さらにボヘミア王の夫人と取引。ルドルフ1世は自分の娘とオタカル2世の遺児を結婚させ、ヴァーツラフ2世(Václav II)として即位させボヘミア王国とモラヴィアの継承を許した。

ここに見えるエピソードが全てを語っている。
ハプスプルグ家はそのように徐々に領地を拡大。結婚により欧州中と縁戚関係になるのである。
最も全てが順風満帆ではなかったが・・。

カプツィーナ・グルフト(Kapuzinergruft) 2 マリアテレジアの柩

ルドルフ1世(Rudolf I)とハプスブルグ家
マリア・テレジア・グルフト(Maria Theresia Gruft)
マリア・テレジア(maria Theresia)
神聖ローマ皇帝フランツ1世シュテファン(Kaiser Franz Stephn)

マリア・テレジア・グルフト(Maria Theresia Gruft)見取り図
pict-カプツィーナ 10.jpg
M❤F・・・マリア・テレジアと夫君フランツ・シュテファン・ロートリンゲン 二人のサルコファガス
F・・・マリア・テレジアの教育係の女官だったフックス夫人の柩
J II・・・・神聖ローマ皇帝ヨーゼフ2世の柩
J1 J2 Jはヨーゼフ2世の妻と子供の柩で、他は全て・マリア・テレジアの子供達の柩

基本この堂はマリア・テレジアとその子供達のグルフトである。
唯一の他人がマリア・テレジアの計らいで特別にこの堂に納められたフックス夫人である
カタリナ・フオン・フックス(Karoline von Fuchs-Mollard)(1675年~1754年)


造形美術アカデミー所蔵
マリア・テレジアの肖像
pict-マリア・テレジア.jpg
バロックを代表する画家マルティン・メイテンス(Martin van Meytens)(1695年~1770年)は宮廷画家としてマリア・テレジアの家族
を描いている。

マリア・テレジア(maria Theresia)(1717年~1780年)
神聖ローマ皇帝カール6世(Karl VI)とエリザベト・クリスティーネ(Elisabeth Christine)の長女
長男レオポルト・ヨーハン(Leopold Johan)が1歳でなくなり、その後男子に恵まれなかった為に長女のマリア・テレジア(maria Theresia)がハプスブルグ家の家督を継承。
(カール6世、エリザベト、レオポルドの柩は前回と前々回紹介済み)

しかし、問題があった。領地に関してはカール6世の手回しで女のマリア・テレジアが後継者として相続できるようにしていたが、神聖ローマ皇帝の称号だけは男性しか継承できない

カール6世はマリア・テレジアが男児を産んでくれる事を待ちわび亡くなった。

オーストリア継承戦争勃発(1740年~1748年)
カール6世(Karl VI)が亡くなると、生前とりつけていた約束は反故され、オーストリアの領地を狙い他国が戦争を仕掛けてきたそうだ。
特に達の悪かったのはプロイセンのフリードリッヒ2世で、産業で繁栄しているシュレージェンSchlesien)を略奪。
そしてバイエルンは神聖ローマ皇帝の王冠を狙った事
だ。(カール6世の次に皇位についたカール7世はバイエルのヴィッテルスバッハ家
)

マリア・テレジアはこれに激怒し、生涯フリードリッヒ2世を軽蔑し恨んだそうだ。
カール6世は
マリア・テレジアに帝王学を学ばせなかったと言うが、23歳のマリア・テレジアはこれに奮起して身重ながら奪回の策を講じハンガリーに自ら乗り込み軍資金と兵を整え奪われた土地の奪還にかかる。
マリア・テレジアは夫に神聖ローマ皇帝の地位を約束したと言う。

事実夫のロレーヌ公子、フランツ・シュテファン・フォン・ロートリンゲン(Franz Stephan von Lothringen)
は神聖ローマ皇帝フランツ1世(1745年~1765年)として即位している。

この頃、最初はバカにしていたフリードリッヒ2世は彼女がただの女でない事を思い知らされる。
シュレージェンは結果的には取り戻せなかったが、シュレージェン奪還に対する執拗な攻撃にフリードリッヒはおののき、生涯の宿敵になるのである。


マリア・テレジアが女帝と呼ばれるのはただ安穏と帝位に就いていたのでは無く、実際彼女はたくましく戦っていたからなのである。
そして人材を見抜く目があり、人の活用に才たけていた事は良い意味で帝国の改革に繋がった。
マリア・テレジアの改革は封建時代の因習を絶ち中央集権国家を確立。近代国家に近づいた事だ。

pict-カプツィーナ 11.jpg
堂の中央にはマリア・テレジアと夫君フランツ・シュテファン二人の遺骸が納められた豪奢なサルコファガス(sarcophagus)が置かれている。
pict-カプツィーナ 12.jpg
マリア・テレジアは、政略結婚がほとんどだったこの時代の姫で奇跡の恋愛結婚を成就させた人ハートなのである
それ故、二人は生涯愛し合い(20年の間に男子5人、女子11人の計16人の子供をもうけた)死してもこのように二人で眠る事を選んだと言うわけだ。(あっぱれ手書きハート)
因みにマリア・テレジア48歳の時にフランツ1世は心臓発作で急逝。それから15年後にマリア・テレジアは亡くなるが、それまでずっと喪服を着続けたそうだ。


pict-カプツィーナ 13.jpg

神聖ローマ皇帝フランツ1世シュテファン(Kaiser Franz Stephn)(1708年~1765年)
ロレーヌ公子、フランツ・シュテファン・フォン・ロートリンゲン(Franz Stephan von Lothringen)
マリア・テレジア(maria Theresia)の夫君である
カール6世のお気に入りだった娘婿フランツはロレーヌ公領を手放して妻と共にハプスブルグ家の共同統治者になった。

妻のおかげでフランツ・シュテファンは神聖ローマ皇帝になれた。大切な故郷を失ったが・・。
しかし、人の良いフランツにはハプスブルグ家のしきたりは苦悩だった事だろう。
席次は当然2番手で時には末席。常におまけとして嘲笑され差別を受けていたと言う。だからこそ、マリア・テレジアは夫に冠を載せてあげたかったのだろうが、相変わらず政治も実権も妻が握っていた。
(それは彼に政治の才覚が無いと見抜いていたから? 
それとも逆にフランツに家庭をまかせマリア・テレジアは安心して政治を行なっていた?。)


またフランツには投資家の才能があったようだ。新しい産業に次々投資してもうけ、彼が亡くなった時その財産は国庫を潤すほどだったと言う。
いずれにせよ野心的でなく、おとなしく、良い人だったようだ。

pict-カプツィーナ 14.jpg
上、右側面には戦争ト宮殿のレリーフが彫られている。
下、柩の裏側。王冠の下には二人の碑文が書かれている。

pict-カプツィーナ 15.jpg
1754年彫刻家バルタザール・フェルディナント・モル(Balthasar Ferdinand Moll)(1717年~1785年)の作品。

説明が長くなり予定の半分でした。次回再びマリア・テレジア・グルフトから しょんぼり
​リンク​ ​カプツィーナ・グルフト(Kapuzinergruft) 3  マリア・テレジア以降
リンク ​カプツィーナ・グルフト(Kapuzinergruft) 1 ハプスブルグ家納骨堂
リンク ​バロック(baroque)のサルコファガス(sarcophagus)

リンク ​ハプスブルグ家の​分割埋葬 心臓の容器と心臓の墓






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Last updated  2020年10月22日 06時37分46秒
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