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ここの所の寒暖の差と疲労からちょっと体調を崩していました。頭が働かなかったです 先週、実家に行ったらちょうど甥や姪も来ていたので父を取り巻きしばし談笑。 すると母がこの中に私のコレクションの土鈴(どれい)が入っているとサイドボードを指さした。 土鈴(どれい)とは、焼きもののベルの事である。 小学生の頃に旅するたびに買い集めていた物なのだが、いらないから実家に残していたものだ。 どれい? (・_・?) ハテ? 甥や姪はどうも違う奴隷(どれい)を想像したらしい。 頭の中をグルグル思考をめぐらせながら、いったいどんな奴隷が出てくるのかとドキドキ。 見たらなーんだ。と言うオチなのであるが、日本語は難しい。 甥や姪と言っても彼らも大学生や社会人。 最初から漢字で見ていたら即、理解できただろうに・・。 それにしたって奴隷コレクションて・・。 私が?? Σ(T▽T;)ヒドイ… さて、琵琶湖疎水、通常なら前回のインクラインで終わりなのですが、たまたま季節運行していた十石舟で南禅寺溜りから鴨東運河(おうとううんが)をクルーズして来たので追加となりました。 琵琶湖疏水 3 (南禅寺船溜まりと鴨東運河) 南禅寺船溜り 鴨東運河(おうとううんが) 岡崎わかば回廊 十石舟めぐり 疏水感謝金 岡崎わかば回廊 十石舟めぐり 鴨東運河クルーズ 赤い橋は平安神宮大鳥居前の橋。この水路の突き当たりが琵琶湖疎水記念館で、さらにその直線上に南禅寺の三門と方丈が連なっている。 つまり見える山は京都東山に連なる山。(その向こうは滋賀県) 手前の琵琶湖疎水のパイプが通る山は瑞龍山(ずいりゅうさん)らしい。 そして奧の山は如意ヶ嶽(にょいがたけ)(標高472m)と思われる。 ※ 視界に入っていないが、如意ヶ嶽その西峰が京都五山の一つ。大文字山(だいもんじやま)(標高465.4m)である。 南禅寺の正式名称は瑞龍山太平興国南禅禅寺(ずいりゅうさん たいへいこうこく なんぜん ぜんじ)。 南禅寺の山号(さんごう)は瑞龍山(ずいりゅうさん)。 だから南禅寺山ではなく瑞龍山(ずいりゅうさん)が元の山の名前だ。 南禅寺橋から 先が蹴上方面 さて、インクラインは蹴上から南禅寺前までの落差36mの勾配をへて、いよいよ南禅寺船溜まりに到着。 南禅寺橋から 昔の着水地と南禅寺船溜まり 南禅寺橋(南禅寺は左方面) 南禅寺船溜まりから運河へ 赤い矢印が琵琶湖疎水記念館 琵琶湖疎水記念館 写真左のレンガ色の所が扇ダムからの運河への放水路である。 琵琶湖疎水記念館 京都市上下水道局が管理している琵琶湖疎水記念館は、琵琶湖疎水100周年を記念して1989年(平成元年)建てられた施設。琵琶湖疎水に関する資料館である。 入場は無料なので是非立ち寄ると良いです 琵琶湖疎水記念館前からの鴨東運河 インクラインに昇降する舟(写真は琵琶湖疎水記念館のもの) 写真の時代は大正期らしい。 鴨東運河(おうとううんが)図・・・南禅寺船溜まり(右の黄色の星)~夷川発電所(左の円)まで 赤く囲った所は平安神宮です。 豆知識として・・ 平安神宮の創建は1895年(明治28年)。 内国勧業博覧会の目玉として復元された大内裏は平安遷都1100年を記念して建てられた神社だったのです。 つまりできたのは第1琵琶湖疎水(1885年(明治18年)~1890年(明治23年))完成より後なので平安神宮より鴨東運河(おうとううんが)のが先にあったと言う事です。 鴨東運河(おうとううんが)は全長1.5km。カクカク曲がりながら西方面に。 写真右側は京都市動物園。 鴨東運河クルーズ船の乗り場 岡崎わかば回廊 十石舟めぐり は3月25日~5月7日までの季節限定のクルーズ船。 2003年(平成15年)第三回世界水フォーラムで運行された船2隻を利用して2004年(平成16年)より季節限定の運行が始まったそうです。 南禅寺船溜まり(右の黄色の星)~夷川発電所(左の円)までの往復30分くらい。 たまたま南禅寺橋の所で勧誘されて乗船。 南禅寺船溜まりを後に・・ 謎のトンネルは白川合流点 鴨東運河(おうとううんが)クルーズでは6箇所の橋をくぐり抜ける。 船の屋根を支える支柱に注目。 実は油圧式で上下可動するような仕組み。 鴨東運河(おうとううんが)にかかる橋の高さはまちまち。特に古い橋は低いので、船の屋根の高さは本来低い物に設定される。 しかし、それでは辛いからだろう。低い橋をくぐり抜ける時だけ、船の屋根を下げているのだ。 だから乗船客もガイドの案内に従って頭を下げる事になる。 このあたり右手は動物園から京都市美術館になっているので土地が少し高目。 桜並木にはなっているのだが、前日の雨でほぼ散ってしまい残念。 ぶっちゃけ桜がなければそれほど・・の運河なのだ だから季節運行なのだろう。 理由はもう一つある。先ほど紹介したように油圧式で屋根を可動させる十石船は2隻あるが、運行の採算があわないようなのだ。 平安神宮の大鳥居と慶流橋(けいりゅうばし) 行きは西に向かっているので写真の写りが悪いです 夷川(えびすがわ)発電所の手前、夷川船溜り(えびすがわふなだまり) この景色は船からでないと撮影できない。乗船の価値はここにある? 琵琶湖疎水の船溜りは全部で10箇所。その中で最大の広さを持つ。 夷川発電所(えびすがわはつでんしょ) 1914年(大正3年)夷川発電所(えびすがわはつでんしょ)完成。 中之島の上下水道疎水事務所。 手前には京都府知事の北垣 国道(きたがき くにみち)(1836年~1916年)の銅像が建っている。 十石舟はここでUターン。 帰りの方が東なので写真が綺麗かもしれません。 それに絵になる写真は行きよりも帰りかも・・。 正面とその左方面が平安神宮の敷地。 立派な運河ですね。 琵琶湖疏水の歴史散策 琵琶湖疎水は琵琶湖の大津から取水している。今回の紹介は蹴上から南禅寺界隈になりましたが、 大津運河周辺、小関から藤尾、山科疏水(四の宮~安祥寺~日ノ岡)、蹴上、鴨東運河まで琵琶湖疏水の歴史を辿る各散策コースが紹介されています。 そのコースに関しては、琵琶湖疎水記念館で300円で販売されている「琵琶湖疏水の歴史散策」と言う冊子で紹介されているので是非行く前に購入されると良いでしょう。 疏水感謝金 因みに、琵琶湖から取水しているので、かつて京都市は滋賀県に発電用水利使用料を払っていた。 今は国からの通達もあり使用料を払う必要はなくなったのだが、京都市としては発電など諸々の恩恵を受けているので1947年からは疏水感謝金と名目が変わり(年間2億3000万円)滋賀県に支払いが続けられている。 その金額は10年ごとに査定を行い物価も考慮されて金額が決められている。 2015年3月に年間2億3000万円に決まったので、2025年まではこの金額なのだろう。 何にしても電気の恩恵のおかげで京都市は復活できたのだから・・。 下はその恩恵の一つ京都市営電気軌道(京都市電)である。 写真は琵琶湖疎水記念館から 写真は1912年(明治45年)5月10日 第一疎水の電気で1895年(明治28年)、日本発の営業鉄道「京都電気鉄道(伏見線)」開通。 第二疎水事業では京都三大事業と銘打って電気の生産を増やすと共に市電網の拡張を計り京都市の市電が開業されている。 市電の開業は1912年(明治45年)6月なので、乗車しているのは訓練を受けてきた車掌さん達だろう。 明治の近代化はすさまじいものでしたね。 当初思った以上に壮大な話でした。やって良かったです 琵琶湖疏水おわります。 バックナンバー リンク 琵琶湖疏水 1 (南禅寺 水路閣) リンク 琵琶湖疏水 2 (蹴上インクライン)
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