毎年のように、人類史は書き換えられる。今回の新発見は、我々現生人類=ホモ・サピエンスが想像を絶するほど早期に誕生地のアフリカを出て、黒人だったはずの彼らが、決して住みよくはなかった北のヨーロッパに達したことを物語るのだろうか?
時は、多少は温暖だった(今よりは寒い)海洋同位体ステージ7の頃である。
◎1978年発見の洞窟の骨の再検査
1978年にギリシャ南部マニ半島のアピディマ洞窟(Apidima Cave=下の写真の上)に発見されていた2つの人類頭骨のうち、年代の古い方の後頭骨のみの「アピディマ1号」は、丸い形態から21万年前頃(海洋同位体ステージ7)のホモ・サピエンスのもの、と同定された(下の写真の下)。
もう1つの頭骨「アピディマ2号」は、ネアンデルタール人のもので17万年以上前、という。ドイツ・テュービンゲン大学などの国際研究チームが、10日付のイギリス科学誌『ネイチャー』電子版に発表した(写真=右は同1号の後頭骨=角礫岩が付いたままの状態=、左が2号のネアンデルタール人顔面骨)。
◎従来観よりいきなり16.5万年も古く
頭骨は、いずれも保存が悪かったが、研究チームは形態のデータをコンピューターで解析し、上記の結論を出した。また年代測定は、ウラン系列年代測定法で行われた。
これが事実だとすると、ホモ・サピエンスは従来観より16.5万年も早く、ヨーロッパに到達していたことになるが、いくつか疑問がある。
現在のところ、最古のホモ・サピエンス化石とされるのは、2017年6月8日付『ネイチャー』で報告されたモロッコ、ジェベル・イルードの31.5万年前頃(熱ルミネッセンス年代測定法)とされた頭骨だが、ギリシャに到達する途中の中東には、この中間の年代のホモ・サピエンス化石が見つかっていない。最古のもので、イスラエル、スフール洞窟の12.5万~9万年前だ。
まだ発見されないだけかもしれないが、中東に痕跡を残さず、バルカン半島を飛び越え、いきなりギリシャというのは違和感が残る。
◎同一の洞窟にネアンデルタール人も
しかも年代が異なるとはいえ、同じ洞窟でネアンデルタール人とされるアピディマ2号も見つかっている。歪んでいるが1号より保存が良い「アピディマ2号」がネアンデルタール人だとするのは、その形態や年代からして妥当だが、古い方の1号をホモ・サピエンスとしてよいものかどうか。1号は顔面も欠いている。
東アフリカ、エチオピアのオモ頭骨(1967年にリチャード・リーキーらが発見)の例のように、1号と2号はかなり形態的な違いがあった。この年代は19.5万年前で、ジェベル・イルード発表前は最古の例であった。
◎何波かあった出アフリカの拡散の1つか
共同研究者でロンドン自然史博物館のクリス・ストリンガー教授によると、21万年前までのギリシャには先駆的なホモ・サピエンスの集団が住んでいたが、孤立した彼らは、その後17万年前ごろまでに優勢な在来集団のネアンデルタール人の集団に取って代わられて絶滅してしまったのではないか、と説明している。
アピディマ1号が仮に現生人類=ホモ・サピエンスであったとしても、当時のヨーロッパはネアンデルタール人の天下であった。
そこにおそらく小集団のホモ・サピエンスが遊動していったところで、拠点を築けるわけはない。しかもまだこの頃、ホモ・サピエンスは原郷土であるアフリカでも、完全な現代人的文化を獲得できていたわけではなかった。
スフールのホモ・サピエンスがそうだったように、アピディマ洞窟の早期ホモ・サピエンスは、何波かあった早期ホモ・サピエンスの出アフリカからの実験的な拡散の名残だったのだろうか。
昨年の今日の日記:「絶滅秒読みのキタシロサイにほのかな希望、ミナミシロサイの卵子と受精させ、着床可能な状態に育てる」