このほどアメリカ、ニューメキシコ州ホワイトサンズ国立公園で、クロヴィス文化期の人類の多くの足跡が発見された。
◎400個以上のヒトの足跡
「ホワイトサンズ」の名のとおり、白い砂丘の連なる乾燥した不毛の地である(写真)。今年から国立公園に昇格した。僕には、塩砂漠のデスバレー国立公園を連想させる。
しかし今から1.1~1.3万年前のクロヴィス文化期は、そうでもなかったようだ。
1万数千年前、おそらく母親と思われる1人の女性が、幼子を腰に抱え、急き立てられるように北に急いでいた。泥の中を滑りながら裸足で歩く2人には、稲妻が光り、大雨が打ち付けていたのかもしれない(想像図)。
時が過ぎ、今、アメリカの科学者たちが、砂の下で見つけた、1.5キロメートル以上も続く足跡を調査している。
発見されたのは、400個以上ものヒトの足跡だ(写真)。
◎3歳くらいの幼児を抱えた旧石器時代のママは急ぐ
現代人の足の長さとの比較により、足跡を残したのはおそらく12歳以上の女性(か少年)と推定される。途中、少なくとも3個所で小さな足跡も現れる。小ささから3歳未満の幼児の足跡と考えられる。おそらく幼児を腰に抱えた女性が、途中で疲れて一呼吸を入れるために幼児を降ろしたのだろう。
しかし幼児は、むずかったので、やむなく女性はすぐにまた腰に抱え直したのに違いない。
腰に抱えた、と想像されるのは、右と左の足跡の深さが微妙に違うからだ。背負っていたのでは、こうはならない。
また足跡の間隔からは、この女性が時速6キロ前後の早足で歩いていたと考えられた。小走りというほどではないが、泥で足元が悪かったことや、子どもを抱えていたことを考えれば、速いペースだと言える。
興味深いのは、女性はしばらくすると、南の方向にまた戻っていることだ。この時は、幼児を抱えていなかった。足跡の産状から、それが分かる。
◎マンモス、オオナマケモノの足跡からクロヴィス文化期の足跡と判明
さて、それではこの足跡が現代人や近世のインディアンの足跡でないと分かるのは、これらの1列の足跡を大型動物が横切っていたことを示す大きな足跡が残っていたからだ。
足跡の形と大きさから、横切ったのはマンモスと地上性オオナマケモノだと推定された。
いずれも1万年前以降の完新世には、アメリカ大陸では絶滅している。彼らが生きていたのは、旧世界では旧石器時代に当たる古期(アーケイック期)のクロヴィス文化期である。この頃に新大陸大平原に出現したクロヴィス狩猟民は、彼らを大乱獲して最終的に絶滅に追い込んだ(気候変動の影響もあった)。
◎オオナマケモノの嗅覚は鋭かった?
マンモスとオオナマケモノの足跡は、それ以外の情報をもたらした。
マンモスは近くにいる人間の存在を気に留めなかったようだが、オオナマケモノは違ったようだ。足跡から、オオナマケモノが後ろ脚で二足立ちになったことが示唆されており、現生のクマのように人間のにおいを確認していた可能性があるという。絶滅した地上性のオオナマケモノは、クマのように鋭い嗅覚を持っていた可能性のあることが示されたのは初めてだ。
もう1つ重要なのは、女性が通った後に、彼らは女性の足跡を横切ったのだが、女性が南に戻る時、彼女は大型動物の足跡を横切っていたのだ。
つまりこれらの足跡から、女性→大型動物→女性という時間的順序が辿れるのだ。女性が南に戻るまで、数時間のシーンが、このまま化石として保存されたのだ。
◎女性たちと植物食を採集に行って急な雨に遭った?
さてこの足跡から、女性の行動について何か言えるのだろうか。
以下は僕の推定だが、女性は他の女性たちともにキャンプの南の植物の生えている所で、塊茎か木の実を採集していたのではないか。そこに俄に大雨が降り出した。子どもは、怖がって火の点いたように泣き始めた。
やむなく女性は、雨宿りしている他のメンバーを置いて、子どもを腰に抱いてキャンプに帰った。
キャンプに子どもを置くと、留守番していた年寄りたちに子どもを託し、仲間の待つ採集場まで急いで戻った。そこには、子どもが邪魔になって持ち帰れなかった「収穫」がたくさん残されていたのだ。
――と、旧石器時代の女たちの植物採集を想像させるのである。
◎足跡化石の発見相次ぐ
なおヒトの足跡は、かつて半世紀近く前、タンザニアのラエトリ遺跡で見つかった375万年前のアウストラロピテクス・アファレンシス(アファール猿人)が最古だが、その後にホモ・エレクトス、ネアンデルタール人、ホモ・サピエンスなど、様々な人類種の足跡が続々と見つかっている。
かつては太古の足跡などそもそも見つからないもの、と考えられていたのが、条件によっては保存されることが分かり、それからは研究者の注意が注がれることになった。
今回のホワイトサンズの発見も、非常に壊れやすく、研究者たちは3D画像で保存することに注力した。ヒトと大型動物が歩いた後、しばらく好天が続き、湿った地面に残された足跡を「日干しレンガ」のように保存したようだ。
☆足跡化石についてこれまで取り上げた日記
・20年10月12日付日記:「砂漠のアラビア半島で11.5万年前のホモ・サピエンス(?)の足跡を発見、南回りの拡散ルートか」
・14年10月6日付日記:「御嶽山噴火の惨劇の私的考察とラエトリの古人類足跡;社会、古人類学」
・09年3月25日付日記:「北京原人の生息年代が古くなり、アフリカで150万年前の足跡が見つかった」
昨年の今日の日記:「樺太紀行(57);レーニンだらけの街の散歩を終わり、朝食へ」
昨年の今日の日記:「緊急日記 世界遺産の首里城跡に復元された首里城炎上・消失」