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2023.09.06
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カテゴリ:考古学


 今は荒涼とした景観のヨルダン南部のバジャ。2018年、そこの墓から8歳くらいの子どもの骨と数千点にものぼる様々な宝石のビーズが発見された。ビーズは、紐でつなげられ、ネックレスにされていたものだ。

​◎世界遺産のペトラに近い​
​ このほど、フランスなどの研究チームが5年をかけてネックレスの復元に成功した(写真)。23年8月2日付の電子学術誌『PLOS ONE』に発表した。


​​ バジャは、有名な世界遺産のペトラに近い。ペトラには、2017年に訪れたことがあり、ほとんど草木が生えていない乾燥した荒れ地に、よくぞこのような大神殿、公共建築物を造ったものだと感嘆したことを思い出す(写真からペトラのエル・ハズネ=宝物殿、エド・ディル=修道院、凱旋門)。​​







 巧みな給水施設を張り巡らせ、砂漠を行き交うキャラバンの宿、交易都市としてペトラは栄えた。それは、紀元前後のことで、パジャの墓の被葬者の生きた時代より数千年も後のことだった。

​◎遠隔地から運ばれてきた宝石も​
​ パジャの新石器村落(地図の左下近くの死海とアカバ湾の中間辺りにある)は、紀元前7400~同6800年に営まれた。ここの新石器人は、ヒツジとヤギを飼い、乾燥地でコムギ、オオムギを栽培していたようだ。


​ 発掘された墓の被葬者は、豪華なネックレスを副葬されていただけに、ある程度階層化が進んだ新石器時代にあって、高位にランクされる家系の子どもだったのだろう(写真)。あまり保存がよくないために性別は不明だが、その他に、ヘマタイト(赤鉄鉱)製のペンダント、真珠母貝のリングも副葬されていたことから、女の子と思われる。​



 ネックレスに使われていたビーズ約2500点は、琥珀やターコイズ(トルコ石)、貝殻などだ。地元で手に入る素材もあったが、南へ100キロほど離れた紅海で採取したらしい貝殻や、約240キロも離れたシナイ半島で採れたと思われるターコイズなど、遠隔地から渡来した素材もある。

​◎孤絶した村落でもある程度の交易ネットワークが​
 バジャ新石器村落の人々は、山岳地帯の人里離れた険しい場所に住んでいた。
 雪融け水が得やすかったのか、他の新石器村落の連中から家畜や穀物の略奪を防ぐ意味もあったかもしれないが、それでも遠隔地からの稀少品のビーズでネックレスを子どもが身につけていたことから、ある程度の交易ネットワークがあったことが分かる。

昨年の今日の日記:「一代でグローバル企業に育てた日本電産の永守重信氏の後継者選びの取っ替え引っ替えの迷走」https://plaza.rakuten.co.jp/libpubli2/diary/202209060000/​






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Last updated  2023.09.06 05:00:44



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