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家族留学奮闘記

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2023.12.07
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テーマ:海外生活(7798)
カテゴリ:その他

まず最初に本ブログは映画の内容に深く踏み込むため映画の試聴を予定している方は読まれないことを強くお勧めする。是非映画を観た後にお読みいただければと思う。

友人7人と試聴した映画は日本を代表する映画制作会社東宝が配給元である「ゴジラマイナスワン(Godzilla Minus One)」である。ゴジラが誕生してから70周年、そして記念すべき30作目となる節目の作品だという。それだけに東宝の気合いを感じた。

監督はALWAYS 三丁目の夕日(2005-2012)、永遠のゼロ(2013)、STAND BY ME ドラえもん(2014)を手がけた山崎貴監督。主演はNHKの朝ドラも務めた神木隆之介、浜辺美波の磐石のキャスティングである。妖怪大戦争(2005)を映画館で観た者としてはあどけなさが残る神木君(もはや君付けでは失礼)が大物俳優になっていて時間の経過を感じずにはいられない。

幼少期からゴジラを見て育った自分にとってアメリカで日本の映画を見ることはなんとも不思議な経験であった。原子力核兵器の実験で生まれたゴジラは人間の生活圏に侵入し破壊を繰り返す。世界の征服を試みる絶対的権力者が作り出したメカキングギドラとメカゴジラさえ生身のゴジラには敵わない。ゴジラの前では人間は無力であり、ゴジラは生態系のトップに君臨する神のような存在なのだ。それはゴジラの英語表記からもお分かりだろう。ゴジラをGOJIRAではなく”GOD”ZILLAでなのだ。決して人間や他の怪物たちと手を組むわけでもなく、敵を倒すと深い海の中に戻っていく。まさに孤高の生物界の王者と呼ぶべきだろうか。

今回の映画では初期のゴジラのオマージュとも言える作品だろう。時代背景の設定も私が観てきた映画の中で最も古く、「特撮の神様」とも呼ばれた円谷英二が編み出したミニチュア模型を用いた撮影技法(電車が行き来する場面等)がふんだんに用いられている。また、昭和の景色が特殊映像技術で美しく表現されていると思いきやALWAYS三丁目を手がけた山崎貴監督が指揮を取っていると知り合点がいった。つまり、この映画は日本の強みとされるミニチュア模型を用いた特撮手法と最新のVFX技術が融合した前代未聞の映画作品と言えるのではないだろうか。内容は勿論だが映像だけでも十分に楽しめる作品となっているのだ。

初期のゴジラのモチーフを踏襲していると思える箇所はゴジラと核兵器との関係性である。大学生の頃一般教養(通称パンキョー)で履修した社会科学の授業でゴジラの初期の映画を視聴した。試聴後に教授が学生にこう言い放った。

「ゴジラは原子爆弾だ。そう考えるとゴジラは単なる怪獣映画ではなくなる。」

幼少期からゴジラのファンであった私にとってそれは衝撃の事実であった。ゴジラは自然界に元々いた生き物ではなく核兵器の実験によって誕生した怪物であり、人間が生み出す核兵器の象徴でもあるのだ。ゴジラの破壊は核兵器の破壊をほのめかしていて、ゴジラへの恐怖は我々が作り出した核兵器への恐怖を意味しているのだ。実際にゴジラマイナスワンでもビキニ沖の水爆実験の描写があり、ゴジラの誕生背景が忠実に再現されている。また、ゴジラが登場する前に深海生物が浮きだすという現象も水爆実験による被害を暗示していると思えば、説明がつく。このような細かい設定からも山崎監督のゴジラの原点へのこだわりが感じられる。

時代が第二次大戦直後の日本(1940年後半)で主人公が特攻隊にも関わらず戦禍を生き延びた兵士という設定はかなり大胆だ。戦争は様々な人の思いが交錯し、場合によっては制作者側が意図しない感情を生み出す可能性が大いにある。ましては第二次世界大戦中日本はアメリカと戦っており、当時のアメリカからしたら日本は敵対国である。米軍の船に飛行機ごと突撃することを命じられた特攻隊(Kamikaze Pilot)が私の隣に座っている友人にどう映るのか正直想像がつかなかった。また、戦後の貧しい昭和の時代背景も事前の情報が必要なはずである。戦争というセンシティブな内容、そして戦後の時代背景は非常に複雑ですんなり受け入れられるとは言い難い。北米での上映決定は少なからずリスクがあり、大きな賭けだったに違いない。

最後に主人公である敷島がゴジラに突撃する場面がある。私はこのシーンがある映画の場面と重なって見えた。ずっと気になっていたが最後のエンドロールで「永遠のゼロ」を撮影した山崎貴監督の名前を見つけてすべての謎が解けた。「永遠のゼロ」では米国の戦艦に突撃する宮部久蔵(岡田准一)するシーンがある。パイロットの宮部の表情には曇りがなく、ただ一点だけを見つめている。余計なBGMはなく画面に映し出された顔を観客は見つめる。映画館の静寂に包まれた暗闇の中、映画の登場人物と見つめ合う演出は今まで経験したことがなく脳裏に焼き付いていた。「永遠のゼロ」と「ゴジラマイナスワン」の唯一の違いはその後のストーリーの有無である。「永遠のゼロ」では特攻隊が戦艦に向かう途中で幕を閉じるのに対し、「ゴジラマイナスワン」はその後が描かれる。絶望の中(マイナスワン)の中でもあがき、もがく中で命の尊さや生きることの大切さを山崎監督はゴジラに込めたのかもしれない。ゴジラ映画なのにエンディングで泣きそうになるのは監督がゴジラとヒューマンドラマという通常決して相容れない2つを一つの映画に凝縮したからかもしれない。

ゴジラが破壊を繰り返すだけの映画であればゴジラの人気はとっくに衰えていただろう。怪獣であるにも関わらずどこか人間らしく人情深い部分がゴジラにはあるのだ。ゴジラには少年の心を鷲掴みにして離さない魅力があるような気がしてならない。今回ゴジラマイナスワンが公開されてゴジラの人気は日本を超えてアメリカに到達していることを肌で実感した。「ゴジラマイナスワン」がアメリカでどのように受け取られるのか非常に楽しみだ。

映画を視聴した後もゴジラの咆哮とゴジラのテーマソングが脳内でループしている。

留学のブログなのに映画のレビューを書いてしまい大変恐縮である。ゴジラ愛に免じてお許しいただきたい。





「ゴジラマイナスワン」​公式ホームページ​より引用


きたろう






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最終更新日  2024.02.03 10:30:43
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