北の王と共に南の王を攻撃することは神に罪を犯すことになる
北の王と共に南の王を攻撃することは神に罪を犯すことになる 南の王に流血の罪があるので、北の王と共に南の王に軍事攻撃するのは、神の目に正しい事ですか。そうではありません。剣をとって戦うならば、やはり神の目に罪を犯すことになります。そして、エホバ神は剣をとって戦うことをクリスチャンに認めていません。 (1)エホバ神は剣をとって戦うことをクリスチャンに許可していない 剣をとって戦うならば、その人は殺人を犯すことになります。殺人をエホバは禁じています。(啓示21:8)そして、エホバ神は、殺人が行われた場合、その殺人者の命を求められると創世記には書かれています。(創世記9:5,6) 殺人を聖書の神はクリスチャンに禁じている 人の命の創造者は殺人された人の命の代償として殺人者の命を要求される ですから、戦争に行って戦い人殺しをした兵士が、敵国の兵士から命を奪われた場合、その兵士は正当な報いを受けたことになります。戦争で命を落とした人は気の毒ですが殺人者であれば神の目から見て正当な報いを得ました 例えば、日本では、第二次世界大戦中に兵士と一般市民を合わせて約三百二十万人の人が犠牲になったと言われています。その中で、どのくらいの一般市民が含まれていたかは分かりませんが、しかし、その多くは、日本人兵士であったかもしれません。もちろん、その死者を日本人は、悲しみ、その軍人たちの一部を靖国神社に祀って神として崇拝します。Japanese atrocities imperial war museum 日本人兵士は戦時中に一般市民も殺害しました氏名所属/階級役職歴/地位判決刑死/病死没年月日没年齢とうしよう ひてき/東條英機陸軍大将01/内閣総理大臣・02/陸軍大臣絞首刑01/刑死1948年12月23日64歳ひろた こうき/広田弘毅(外交官)01/内閣総理大臣・外務大臣・駐ソヴィエト大使絞首刑02/刑死1948年12月23日70歳といはら けんし/土肥原賢二陸軍大将奉天特務機関長絞首刑03/刑死1948年12月23日65歳いたかき せいしろう/板垣征四郎陸軍大将04/支那派遣軍総参謀長絞首刑04/刑死1948年12月23日63歳きむら へいたろう/木村兵太郎陸軍大将03/ビルマ方面軍司令官絞首刑05/刑死1948年12月23日60歳まつい いわね/松井石根陸軍大将03/中支那方面軍司令官絞首刑06/刑死1948年12月23日70歳むとう あきら/武藤章陸軍中将陸軍省軍務局長絞首刑07/刑死1948年12月23日56歳ひらぬま きいちろう/平沼騏一郎(司法官)01/内閣総理大臣・枢密院議長終身刑08/刑期中に病死1952年8月22日84歳しらとり としお/白鳥敏夫(外交官)駐イタリア大使終身刑09/刑期中に病死1949年6月3日61歳こいそ くにあき/小磯国昭陸軍大将01/内閣総理大臣・朝鮮総督終身刑10/刑期中に病死1950年11月3日70歳うめつ よししろう/梅津美治郎陸軍大将03/関東軍司令官・陸軍参謀総長終身刑11/刑期中に病死1949年1月8日67歳とうこう しけのり/東郷茂徳(外交官)02/外務大臣・駐ドイツ/駐ソヴィエト大使禁固20年12/刑期中に病死1950年07月23日67歳なかの おさみ/永野修身 海軍大将02/海軍大臣・海軍軍令部総長 ―13/戦犯指定を受けたが判決前に病死1947年1月5日66歳まつおか ようすけ/ 板垣征四郎もし一般人の殺人を命令したのであれば神として崇拝するのはふさわしいですか しかし、聖書的な観点からすると、殺人者たちを神として崇拝するのは、神の目に正しい事ではありません。殺人は、神の目に尊ぶべきことではなく、残酷で悪い事です。人はどこの国の人であっても、神の像に造られていて、神の特性を与えられているので、その命は尊重するべきだからです。どの国の人でも神の特質が与えられているので人の命はみな貴重 そして、その正確な数は、分かりませんが、太平洋戦争中、中国で、中国側の発表によると、六百万人から三千万人の死者が出ました。しかし、その数は分からなくても、日本人兵士が非常に多くの中国人やアジア人を殺害したことは事実でしょう。 そして、日本人兵士が他の人間の命を奪った後、敵によって命を落としたとしても、それは神の目から見て、当然の報いを受けただけです。他の人間の命を奪い殺人をしたからです。エホバ神は命を奪った場合、基本的に殺人者の命を求められるからです。(創世記9:5,6) いずれにせよ、クリスチャンに対してエホバ神は剣をとって戦い、殺人をすることは許していません。ですから、国家間で問題が生じた場合、その政治家がキリスト教の信仰を持っているというのであれば、できる限り、平和的な交渉によって問題の解決を図ることが必要になります。 そして、前述しましたが、とりわけ、他国と戦争が生じそうな状況で、敵国の軍事力が大きい場合はとりわけ、国家は大使を遣わして和平交渉をするようにと聖書は勧めています。(ルカ14:31,32)その方が、国民が殺人という罪を犯すという事態を極力避けることができます。 ただ、私たちは、真の神について知らずに罪を犯してしまった場合、キリストの贖いの犠牲に基づいて神の許しを願うことはできます。(ヨハネ第一2:1,2) (2)復しゅうはエホバに任せる 聖書はクリスチャンに対しては、復しゅうはエホバに任せるようにと勧めています。(ローマ12:18,19)クリスチャンには、殺人をすることは許されていません。エホバ神が認めているのは、「上位の権威」が「悪をならわしにする者たち」に「復しゅう」するために剣を用いることです。(ローマ13:3,4) それで、親族や仲間の無実のクリスチャンが不当な理由で殺されてしまった場合、クリスチャンが剣をとって復しゅうすることは勧められることではありません。クリスチャンができることは、エホバ神が事態を動かしていくことにより、不当な流血に復しゅうが行われるようにするよう祈ることです。 祭司ゼカリヤが殺されて死ぬ直前に、エホバ神にその「代償」を求められるよう祈りました。(歴代第二24:22)後になって彼の祈りはその死後に聞かれることになりました。 エホバ神は、カインがアベルを殺害した時、アベルの血がご自分に向かって叫んでいると言われました。(創世記4:10,11)ですから、エホバ神は不当な流血を見て、憤られます。また、イエス・キリストもアベルから祭司ゼカリヤの血までの復しゅうがその世代に要求されると言われました。(マタイ23:35,36)カインがアベルを殺した時神はアベルの血が叫ぶのを聞きました それで、エホバ神は、ご自分の御子も含めて無実のクリスチャンの流された血の復しゅうが行われるように事態を動かされました。一世紀のエルサレムに集まっていた非常に大勢のユダヤ人は、イエス・キリストやイエスの弟子たちの殺害に手を貸したのですが、ローマの軍隊によって命を落とすことになりました。 今日、クリスチャンは、預言によると、南の王や北の王も含めて「地に住む者たち」により、命を落とすことになります。(啓示6:10)そのクリスチャンの主要な迫害者になるのは、南の王のようです。しかし、クリスチャンは、自ら武器をとって戦い、南の王や北の王、また、その他の仲間の命を奪った実体に対して復しゅうをすることは勧められません。 クリスチャンは、生じている事態についてエホバ神に申し上げて、エホバ神が真実を明らかにされるように、祈ることはできます。また、復しゅうのためにエホバ神が行動するように祈ることはできます。 聖書の預言によると、南の王と北の王は、互いに戦い合い、命を落とすことになります。最初に南の王の国が滅びます。しかし、最後には、クリスチャンを迫害する北の王の軍勢も全滅することを聖書は予告しています。 (3)将来天から出る声が復しゅうを求める 確かに、啓示の書には、天から出る声がこのようにいう部分があります。「彼女自身が返したとおりに彼女に返し,二倍を,つまり,彼女が行なったことの二倍を彼女に行ないなさい。」(啓示18:6)大娼婦に対する攻撃を呼び求めています。しかし、これをクリスチャンが仲間のクリスチャンに言うとは考えられません。聖書はクリスチャンに絶対に殺人を禁じているからです。 おそらく、天から出る声は、上位の権威に事態を訴えることをするのかもしれません。しかし、これが行われるというのはよっぽどのことが南の王によって行われるのでしょう。エホバ神に信仰を抱く忠実なクリスチャンやあるいは不忠実なクリスチャンが命を奪われるという事態が起こり、その程度ははなはだしく看過できない状況になるのでしょう。 私は現在の状況がどこが原因で起こっているかがすべてが分かっているわけではありません。また、聖書に忠実なクリスチャンが確かにはっきりと明らかな実体によって命を奪われていることを確認できているわけではありません。 しかし、将来、南の王のクリスチャンに対する迫害は、はなはだしくなるのでしょう。そして、それははっきり分かり間違えようがなくなるのでしょう。預言はそのことを示しています。そして、神に祈りによって訴え、また、上位の権威の行政、司法、立法などに訴えるしかなくなるのかもしれません。 しかしながら、北の王と共に南の王に軍事的に敵対して、人々の命を奪う人にエホバ神は永遠の命を与えられないようです。大患難の時、戦う人は、永遠の滅びをこうむることを預言は示しています。このことは、別の機会に詳しく取り上げたいと思います。 そのため、私は、南の王と戦う兵士たちは、死亡率も高いでしょうし、また、神の是認も得られずたとえ死んでも復活がない状態になるのではないかと思います。そうであれば、道義的に、南の王と戦うように奨励することはできないように感じます。 そして、エホバ神は善い人も悪い人もひとりひとりの行いを見張っておられ、その個人個人にふさわしい裁きをくだされます。(箴言15:3)あるクリスチャンには永遠の命を与え、ある人々には永遠の裁きを下されます。(マタイ25:32,46)ですから、その点では、クリスチャンは公正な「裁き主」と言われているエホバ神に任せることができます。(イザヤ33:22)エホバ神の目を逃れることは決してないからです。 (4)敗北する可能性の高い戦争をするのは愚かな事 啓示の書の大娼婦とは南の王を表していますが、大娼婦は、「地の王たちの上に王国を持つ」と述べられています。(啓示17:18)それで、大娼婦は、地の王たちを上に立って支配できるだけの軍事力と経済力を持っています。 聖書は基本的に自国よりも大きな軍事力を持つ国家と戦争をすることは勧めていません。(ルカ14:31,32)敗北する結果になる可能性が高いのに、戦争を始めたとしたら、愚かな選択の結果に直面することになります。ですから、基本的に大娼婦に軍事的に敵対するのは賢明ではありません。 聖書の中で預言されているのでなければ、戦争を始めても、敗北する可能性があります。敗北する結果になる戦争を始めるのは愚かなことです。戦争を回避するようにするべきです。 私は、聖書で今まで明らかになっていることからすると、北の王と共に戦争をする人に神の正義はないのではないかと思います。クリスチャンは、仲間が命を落としても、神の祈り、復しゅうは「裁き主」のエホバ神に任せられます。剣をとって戦うことを避け、神に罪を犯すことを最善を尽くして避けましょう。