懐かしの深夜ラジオ。ラジオのはなし
こんばんわ、全世界の深夜ブログ便ファンの皆様、毎日だいたい200から300の意味もなくおとずれるあなた、お元気ですか?ぼくは、元気です。ラジオの話をしたどころで、誰も記憶のかなただおうけど、テレビのやせたつるべをみるたびに、違和感を覚えてしまうのです。超人気番組MBSヤングタウン月曜日は長い間、つるべが担当し、その後さんまと引き継がれる、さんまの話が磨かれたのはこのやんたんであると、おおなべさんはいっちょります。つるべの番組はほとんどおぼえているは、10円だまの話、を覚えている、ある駅にゆくと、朝、ずっと切符自動販売機のよこに男の子がいて、永延と「10円ちょーだい!10円ちょーだい」といい続けるのだ、それがギザ10であれば喜び、いくらかたまると売店でお菓子を買うのである。いわば、物乞いである、しかし、その言い方がおもしろく、つるべはギャグにしていた、数年前、時任三郎のホームぺージで、その光景を目撃していたということを書いていた、驚きであった。あ、この話、そこでおわり。その10円だまの話だが、10円にはいろいろあり、ぎざぎざのついた10円玉があって、それを集めるというのが小学生のときにはやった。しかしながら、いま、自動販売機にはそのぎざ10は排出されるのだ、「こんな10円玉は拒否します」 かたんと、おちる。?何で、10円玉の話をしているのだろうか、ラジオの話である、深夜ラジオが好きで、ラジオDJに憧れ、中学高校と深夜毎晩、9時から4時前まで聞いていたぼくは、やがて、念願のつるべの母校、京都落書きノーベル大学にゆくのである、そこで、なんとか学生生活をエンジョイしながら、下宿「小山コーポ」でいろいろな下宿人と生活をともにし、4年になって、後輩たちをけしかけ、当時はやりつつあったMINIFMを設立しようとしてゆく。海賊無許可放送局。このラジオ局兼クラブボックスを自分の部屋を提供し、学生たちがあつまり、放送を開始してゆく。しかし、半年もたたぬうち、放送は終了。ぼくは引退し、みんなはスポンサーがついて、喫茶店からの放送をはじまる、ぼくは、当時まだ出始めのファミレスに就職するのだ、ここからが次の作になる、「ファミレスが好きだった、弁当屋のおやじの話」につながる、構想としてはそうだ、ほとんど現実の話であるが、少し色をつけてのばしてみてからの小説としての完成をしてゆこう。めざすは、ベストセラー弁当屋の親父シリーズだ、(かなり妄想)何を妄想、いや申そう、僕は本がすきで、一月にかなりの数で本を読み、漫画ではありえない、想像力と、活字の躍動がすきなのだ、しかしながら、夏休みの読書感想文。あれはきらいでたまらなかった。いつもあとがきとあらすじを適当にかいていたな。作文もきらいだった。唯一、現代国語の何とか模試で全国17位をとったきおくがかすかにのこる、工業高校電気科だろう?とつっこむところです。