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カテゴリ:日本フォーク史
STVラジオの竹田健二ディレクター
以前にもかいたけど、ぶおさんにために STV-R 前身は札幌テレビ放送(STV)内の部局であった「札幌テレビ放送株式会社ラジオ局」。多くのラジオ・テレビ兼営局がラジオ放送を先に開始した中、テレビ単営局が後付けでラジオ放送を開始したのはSTVが全国唯一のケースとなった。親局や一部送信所・中継局のコールサインがラジオとテレビで異なっているのはこのためである。 1975年に行われた“全国フォーク音楽祭”の北海道・帯広地区予選会でのこと。コンテストを担当していたSTVラジオのディレクター竹田健二氏は、長髪で線の細い青年の歌う、去って行く男を見送る切ない女の歌に心を奪われました。青年は当時20歳の松山千春、歌は彼のオリジナル曲「旅立ち」でした。竹田ディレクターが千春にかけた言葉は、「ギターがひどいな…。」というものでした。もちろんそれは、“歌が素晴らしいのに、もったいない”といったニュアンスだったのですが、千春は逆に「俺はギターの品評会に来たんじゃない。歌の批評をしてくれ!」と食ってかかったそうです。 地区予選は勝ち抜いたものの、結果的に松山千春は全道大会での入賞は果たせませんでした。しかし竹田ディレクターは“自分の手で立派なフォーク・シンガーに育ててみたい”と彼に夢を託します。自らが担当するラジオ番組に千春をレギュラー出演させ、毎週新しいオリジナル曲を歌わせました。それが評判を呼び、松山千春という名前は北海道中に知られるようになります。おそらくその出会いから、竹田ディレクターには“こいつはラジオで火が付く”という確信があったのでしょう。怖いもの知らずのトークと、ガラスのように繊細で抒情的な歌。一見相反する2つの要素を備えた類い希な個性をアピールするのに、当時ラジオこそが最適かつ唯一のメディアだったのです。 圧倒的なリスナーの支持を受けてリリースされた「旅立ち」は、またたく間に北海道のヒット・チャートのトップを獲得しました。そして翌年、「季節の中で」の大ヒットと、パーソナリティを務めた深夜ラジオ番組「オール・ナイト・ニッポン」が全国的な人気を博し、松山千春は押しも押されもせぬ立派なフォーク・シンガーへと成長します。しかし、その姿を竹田ディレクターが見ることはかないませんでした。77年8月27日、彼は急性心不全により他界していたのです。 「時のいたずら/白い花」は竹田さんへの別れを歌った作品です。 中島みゆきは、「ほうせんか」という歌を竹田氏に贈った。 みゆきはラジオ局でバイトしていたらしいが、接点はしらない。 ふきのとうもデビューでおせわになった はるのひさんの記事。 http://plaza.rakuten.co.jp/harunohi1918/diary/200611050000/ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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