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カテゴリ:戦争と平和
薬品や器材が不足する中、生き残った医師や看護師たちによって救護活動が開始されたが、原爆は事前に定められていた医療救護体制にも大きな打撃を与えたため、負傷者に対して応急処置などを十分に施せるような状態ではなかった。こうした混乱の中、国鉄の救護列車4本が核爆発から僅か3時間後で炎がまだ燃え盛る爆心地近くまで接近し、多数の負傷者を乗せて沿線の病院などへ搬送した。夕方には、近郊の病院などの救護隊が、夜には県下の警防団などで組織された救護隊がそれぞれ救護活動を開始し、県警が周辺県警などに救援隊派遣を要請した。 僕はこの原爆について、本当に許しがたい怒りをかんじる。 ナチスドイツの行為よりもいや同等に米国は鬼畜、ひどい、 誰しも、平和をさけび、反核をうったえるが そこには思想政治の意図がでてきて、本来の姿を失う。 小倉に落ちていても同じことだ、 小倉の人々は複雑な思い出あったとおもうが、東京にも神戸にも 落とす気概であったようだ、 この原子爆弾の罪は、何千年たっても米国人のものとなる。 原子力を廃絶し、安全な地球のもどることをねがう、 クーラーがきくこの部屋でぼくのパソコンの電源もおそらく、原子力発電だろうが お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2008.08.09 23:48:44
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