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盲腸妊婦の日々。blindtarmsinflammation

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January 16, 2006
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カテゴリ:阪神大震災
明日は阪神大震災から11年目。
当時、私は高校生でした。
11年目になる今年、私は初めて「被災地」を離れてその日を迎えます。
その当時の思い出を書いてみようと思います。
長いですが、よろしければ読んでみて下さい。

1月16日、私は風邪気味だったので、同じクラスの友人に

「明日、学校休むかも。先生に言っておいて。」

と電話で頼み、それから1週間前に買ってもらったばかりのハイベッドに上って
いつもと同じように眠りにつきました。

・・・・・

ドーン!

と、下から突き上げるような強い衝撃に一瞬何が起きたのかわからないまま、
私の体はベッドごとゆさゆさと激しく揺さぶられました。
部屋の窓の障子が、ピカッ!と青白く光ったのが見えました。

(何?何!)

今まで経験した事のない揺れ。映画のポルターガイストが起きたの!?と、
ただ恐ろしくて、ただ布団を頭から被って揺れに身をまかせるしかありませんでした。

(・・・何!これ!じ、地震だ!地震なんだ!!)

ようやくこれが大きな地震だということに気づいた私。
すると大きな揺れがぴたりと収まりました。

母が、私の名前を叫びながら部屋にやってきました。

「お母さん、これ、何?地震??地震だよね。」
「無事?怪我はない?」

隣の部屋で眠っていた小学生の弟も崩れた本をかきわけ出てきました。
滅茶苦茶になった家の中。父もやってきて、みんなで抱き合うようにして、無事を確認しました。

私の部屋を暗闇の中目を凝らして見ると、蛍光灯の傘も電球もばらばらで、
天井にとりあえずぶら下がっている状態。
タンスは上部が落ち、本棚も食器棚もテレビも倒れていました。

ハイベッドを買う前、私は畳の上に布団を敷いて寝ていました。
タンスは、その場所にずしりと落ちていました。
ハイベッドでなければ、私は母のありがたい婚礼タンスの下敷きになるところでした。

「寒いけど、窓を開けよう。必ず余震がくる。」

窓を開けたら、1月の凍るような冷気が頬をさしました。
外はまだ真っ暗です。
あの激しい揺れがあったなんて嘘のような静けさでした。
そういっていたら、またユラッと、家が大きく揺れたと思うと、
ガタガタガタと大きな音がして激しい余震がきました。
恐怖で、体が震えます。もう、刻み込まれてしまった揺れへの恐怖。

「関西には地震がこないっていってたのにね・・・。」

私が小さく呟くと、母は寒いのと、家中が倒れたもので散乱していて危ないから
上着を着て、靴を履くように言いました。

玄関までたどり着くのも、大変です。

台所の食器棚は母が奮発して買ったばかりのものでした。
揺れのため、倒れて流し台にもたれかかっています。
中の食器は、すべり落ちて床で割れていました。

ツー・・・

玄関で靴を探して履いていると、台所からかすかに音が聞こえました。

(何だろう・・・。)

聞き覚えのある小さな音。音のする場所も、色々なものが散乱しています。

「・・・電話! 電話つながっているよ!!」

そう、そのかすかな音とは、電話の受話器が外れている音でした。
母に受話器を渡すと、北海道に住む祖父母に電話をかけました。

「・・・うん、そう、今とても大きな地震があってね、テレビでやってない?
こっちはみんな無事。うん。ものすごい地震。え?震度3って?そんなわけない・・・!」

しばらくは電話が通じていたので、近所の人にも電話を貸してあげたりしていましたが、
じきに通じなくなってしまいました。

私と父は、家の外に出てみました。夜明け前。静寂が広がっていました。
でも、何か、違和感がある静けさ。
遠い空がぼんやり赤く、煙があがっているのが見えました。
そして、ガスのにおい。

同じように道路に出てきて、何が起こったのかわからず呆然としている人がいました。

「地震ですよね。」
「地震ですよね・・・。」

誰もが地震が起きたということが認識できずにいました。
眠っている時に起きた地震だったから、現実感がなかったんです。
そして、家の中は滅茶苦茶でも、外は真っ暗で、恐ろしいほど静かでしたから・・・。

でも、それはじきに現実へと変わっていきました。

夜明けです。

朝日は、残酷なまでもその“事実”を見せ付けてくれました。

だんだんと空が白んでいくにつれ、町の様子がはっきりとしてきました。

2階が落ちて潰れた家、壁が落ちてしまった家、倒れた電柱と切れた電線。

水道管が破裂したのか、水が噴き出しているところもありました。
どこかで救急車と消防車のサイレンが鳴っています。
道路は割れたクッキーのようでした。
ところどころ盛り上がったりへこんだり・・・ガタガタになっています。
昨日までの町とは全然違う光景になっていました。

家に戻ると、母は早くも片付けを始めていました。

「とりあえず、寒いのと危ないから少しずつ片付けよう。家の中でも靴履いたままでいていいから。」

そう言っても、どこから片付けていいのやら・・・と途方にくれそうなほど、家の中は散乱していました。

こんな時も片付けを始める母は強いのだと、その時感心したのを覚えています。

余震で家が崩れるような事があったら困るので、
玄関も庭に通じる窓も開けっ放しのままで片付けをしていましたから、
寒くて寒くて仕方ありませんでした。
私の部屋は、大きなタンスが落ちてしまっているので、片付けようにもどうしようもなく、
私は散らばっている教科書を机に戻すしかありませんでした。

「今日は学校休むつもりだったけど、これじゃあ休校だろうなあ・・・。風邪もとんでいっちゃったよ・・・。」

と、そこまで考えたとたん、昨日寝る前に電話していた友人の事が気になりました。
まだ通じていた電話で、友人の家に電話をかけてみると、・・・話し中。

(話し中って事は、うちみたいに親戚とかに無事ですって電話しているのかな?)

と、その時私は漠然と思ったんです。しかし、彼女は崩れた家の中で数時間閉じ込められ、
後に救出されました。

彼女の家は全壊していたのです。
夕方になって、泣き出しそうな声で彼女から電話がかかってきた時には
大変驚きましたが、無事で本当によかったです。

その日は、夕方前には電気が復旧しました。
震災当日の夜遅く、父の会社からの最初の救援物資が到着しました。
おむすびでした。
朝一番に出たトラックは、何時間もかかって私たちのもとに届けてくれました。
スーパーも、コンビニも被害を受けているので開いていません。
でも、ガスと水道はずいぶん後にならなければ使えず、不便な生活を送りました。

弟の小学校は避難所になり、私の通っていた高校は南のほうだったので
被害は少なく、後に再開されました。





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Last updated  January 16, 2006 11:49:49 PM
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