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カテゴリ:メートルドテルの科学と学習
「こちらは脂がのった天然の明石鯛のポアレでございます、、、」
レストランにてお客様に料理を提供する時の、一文句でもあります。当然、「脂がのった」「天然」「明石」というキーワードがお客様の食指をそそる事となるのですが、ここに天然では無く、出自もはっきりしない「養殖」の鯛に対しての優位性が含まれているからです。 人類は舌で物事を判断する他に、耳から入る情報、目から取り入れる情報によっても料理の「美味しい・美味しく無い」という判断をします。高度に脳が発達した経緯によるものではありますが、それでもなお、「天然」であり、「明石」である事が「美味しい」事に繋がるのでしょうか? ある食物を美味しいと感じるか否かは、食べ手側当人の嗜好の問題です。しかしながら、口に入った食物を「美味しい」と判断するのは舌では無く、最終的には「脳」のはずです。 では、その「脳」にコレは美味しい、コレは美味しく無い、と判断するようあらかじめプログラミングしたのは誰でしょう? そう考えると、「美味しい」か「美味しくない」を規定したそもそもの「犯人」とは、あまねく生物の身体に宿る「遺伝子」では無いかとも思うのです。 生物の歴史から遡ってみると、「美味しい」か、「美味しく無い」かの基準はそもそも「食べて安全か否か?」にあったと考えられます。 腐敗等を起こして危険な「食物」(食べられないものはそもそも「食物」では無いのですが)は脳が「不美味い」と判断して、飲み込まないように危険を回避したと考えられます。ほとんどの動物において舌という器官が内臓の一番外界からの入り口に近いところにあるのは、とりもなおさず危険な要素をなるべく早い段階で吐き出せるよう進化した結果と言えます。 (ほとんどの動物、と言ったのは魚の一種である『ホウボウ』はエラの下にある触手の先に味の感覚器官が備わっているからです。このお話はいづれ、、、) さて、話は再び天然の鯛の話に戻ります。「養殖」と「天然」では明らかに「天然」の方が「美味しい」とされています。これは、食べる側、つまり人間の側が生まれた後に誰かから教えられた概念でしょうか。 天然の鯛と、養殖の鯛の違いは、先ずその運動量の違いによって表れます。ここには産地としての外的要因も含まれます。関西で特に珍重される明石は、波も荒く、淡路島近海は渦潮でも有名な場所でもあります。 こう言った場所に生息する魚は勢い自然に運動量が増えます。運動量が増えると言う事は人間でも同じように疲れると言う事です。疲れたままの段階では、ストレスですので美味しくはなりませんが、この疲れが落ち着いて、筋力と変化する過程において旨味成分が生成されるとも言います。 (明日へ続く、、、) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
Jul 5, 2006 12:04:20 AM
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