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カテゴリ:こう見えてもソムリエでんねん
昨年からでしょうか、様々な食品で海外で生産されたものを国内産と明示して販売する「産地偽装」が言われてきました。
今回は国内産と表示して販売されていた筍が実は中国産だったのだとか。一体、日本の食事情はいったいどうなっているんでしょうか。
...とは言え、産地の偽装はこの近代において始まった話ばかりではなさそうです。
時は17世紀のフランス、ロワール地方。ロワール川が大西洋へ注ぐナントの町にオランダの商人が集まり始めました。そもそもオランダの商人たちは当時、ギルドなど職能意識の高かったボルドーを閉め出され、安いブランデー用ブドウ栽培の産地としてロワール川周域に眼をつけました。そうしてイギリス向けの貿易港としてナントの街は発達していったのです。
後の1709年フランス西部を稀に見る大寒波が襲います。当時植えられていた葡萄の木はことごとく被害を受けましたが、この被害を省みて耐寒性に優れた品種が植えられるようになりその栽培範囲を広げて行きます。
この葡萄品種が「ミュスカデ」
ぶどうはワインへと加工され、英国へ樽で出荷されますが、ここで産地偽装が図られました。ミュスカデを用いて造られたワインは偽シャブリとして出回り、この頃からミュスカデの別名「ムロン・ド・ブルゴーニュ」との名が使用されるに至った経緯が見られます。
偽シャブリがイギリスで出回っているとはいえ、AOC設立までにはまだまだ時間を待たねばならない時代でもあります。イギリスの対岸、フランス西部のナントの港からは英国向けのワインがその後もずっと出向されていました。
1940年代、世界が二次大戦に突入すると、フランスは隣国ドイツからの攻撃を受けます。多くのフランス人がイギリスに疎開します。フランス人気質というのでしょうか、やっぱりイギリスに渡ってもワインは飲みたいものは飲みたい。
ドイツ軍はパリの目前まで迫り、シャンパーニュ地方も、ブルゴーニュ北部のシャブリもドイツ軍の占領下にありました。もちろんその地方のワインが国外に届くはずもありません。
そんな時、パリジャンの目に留まったのが、「ニセシャブリ」ミュスカデのワインであったのです。
戦争が終わり、平和な時代がやってくると、シャブリの代用品であったミュスカデはその本当の名を知られて行きます。すっきりとした味わいと軽やかな口当たり。
1960年代に入り、フランス料理も軽く仕上げる"ヌーヴェル・キュイジーヌ"が流行の兆しを見せると、ミュスカデにも注目が集まり、ついに輸出用のワインとしてその地位を確立するに至ったそうです。
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Last updated
Sep 13, 2008 08:24:24 AM
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