テーマ:妊婦さん集まれ~!!(4733)
カテゴリ:心理学。
ブル乃助の存在を知ってから、表面化した、非常に繊細でタブーな話題が有る。
避けて通れないのは解って居ても、つい、目の前の家庭内平和を望み、 お茶を濁したまま来て、気が付いたら出会ってから11年も経つ、わたし達夫婦。 付き合っていた頃は、別によかった。 「ふ~ん、貴方はローマン・カトリックなの、へぇえ~。」 「ふ~ん、君は何も神様を信じていないけれど、若し今死んだらお葬式は真言宗なの、へぇえ~。」 興味本位にブルルと教会へ行ってみた。 儀式だらけの場所でマナーも解らず大変戸惑った。宇宙遊泳の方がまし、と思った。 賛美歌を聞いたら何故か涙が出た。 大学でキリスト教について勉強し、聖書を読んだりしても、わたしにはイマイチピンと来なかった。 結婚を決意した時も、特に問題は無かった。 「ふ~ん、貴方はカトリックだからカトリック教会じゃないと駄目なのか、よし、解った。」 「ふ~ん、僕は神式の格好もしてみたいけれどあれは衣装だけじゃなくて宗教なんだね、 じゃ、やっぱりカトリック式で行こう。悪いけどしょうがないよ。」 カトリックの教会で結婚するにあたり、夫婦になる為の講座のようなものに、 二人で週に1度、何度か通わなくてはいけなかった。 関西のど真ん中のカトリック教会で、フランス人の神父さんに訊かれた事。 「もし貴女の夫が不治の病で死にかけている時に、 貴女には幸せになって欲しいから別れてくれ、と言われたらどうしますか?」 わたしは言葉を失った。 愛する人の望みを叶えるのが愛なのか、 それとも、何が有っても、例え望まれずともしがみついて行くのが愛なのか? 因みに、カトリックの世界では勿論正解は「何が有っても」の方で有る。 わたしと出会ってからブルルが教会へ脚を運んだ回数は、 多分30回に満たないで有ろう。 11年間に、である。 クリスマスやイースターにブルルの家族で行ったミサや、甥の洗礼式、 日本で二人で気が向いたら日曜日の朝の礼拝に行ったり、前述の結婚講座も含めて、である。 結婚以来、日本でもアメリカでも日曜日には教会、という程敬虔なクリスチャンで有る訳では無いのだ、 という事を、ここでは強調しておく。 (教会へ行けば「敬虔」なのか、という考え方にも疑問を覚えるが) それが、ブル乃助登場以来、「子供を教会へ連れて行くのはクリスチャンの役目」だなんて言い出す彼。 いや、正確に言えば、今までもそういうコメントは有ったのだが、 わたしが無視したり却下したり、喧嘩したくないばっかりに対応を怠っていた。 杞憂かも知れない。 本人が毎週教会に行くタイプでは無いのに、急に付け焼刃の熱心さが続く訳が無い。 彼の信心は付け焼刃では無く、今までの人生、随分波が有ったらしい。 小さい時は教会のアルター・ボーイ(日本語不明)で何か有る度にお祈り。 成長してからは何年も教会に行かなかったり、また足繁く通うようになったり。 だから、赤ちゃん誕生が起爆剤になる事だって、大いに可能だ。 でも、まず洗礼、それから通う内にどんどん嵌って行って、と言う事も有り得る。 大体、わたしが日曜の朝早起きをして一緒に行くのを拒否した場合、 ブル乃助にどうやって説明するんだろう? 先日、赤ちゃんが男の子だと判り、ブルルが明治維新の絵本を衝動買いした、と書いた。 実は、その前に彼が手に取っていた本が有った。 言わずとも知れた事・・・赤ちゃん用の聖書で有る。 「なんでそんな目で見るんだよ。 僕が赤ちゃんをカトリックに育てる義務が有るのは知っているだろ?」 「そんなの、大人になってから本人が決めればいいじゃないの。」 「クリスチャンに『育てる』事が大事なんだよ。」 貴方がカトリックについて教えるのならば、わたしはわたしでわたしの見解を説明するからね!」 「すればいいさ!」 「生まれた時から洗脳するなんて可哀相!」 洗脳。 ・・・言葉が悪いのは重々承知している。 でも、わたしは本当にそう思うのだ。教育とは一種の洗脳だと。 「洗脳って言うなよ、洗脳って!!」 「日本でアダムとイブの話なんてして笑われたらどうするのよ!」 とうとうブルルは黙ってその小さいヘンな絵の付いた聖書を棚に戻した。 今、アメリカで、「メリークリスマス!」と言うか、「ハッピーホリデーズ!」と言うかの議論が盛んだ。 クリスマスをクリスマスと言って何が悪い、とわたしは思う。 ABCニュースに拠ると、80%のアメリカ人がクリスチャンで、 96%のアメリカ人がクリスマスを祝うらしい。 日本国籍保持者のわたしはアメリカ人の内には入らないけれど、 わたしのように、クリスマスを、バレンタインや感謝祭のように捉えているアメリカ人が多いのだろう。 しかし、ニュースで話題になっているのはその事では無い。 マイノリティーがやたら強いアメリカ。 マジョリティー以外は無視される日本。 その、見本のようなリポートだった。 ノースキャロライナのラーリーという所では、一つのモールの中で 「クリスマス」という単語をポスターや従業員の挨拶に含むお店は一つだけで、 地元の牧師さんがみんなにそのお店で買い物をするように呼びかけているので、 そのデパートは売上がぐんと伸びた、と言うのが、寝ぼけては居たが簡単なあらまし。(の筈) 「メリークリスマス!」と言う事に怯える店側もどうかしているが、 アメリカの店舗が何事にも神経質なのは今に始まった事では無い。 わたしが引いてしまったのは、その牧師さんの息巻いた議論の持っていき方だった。 宗教に携わる人が、どうしてこんなに好戦的なんだろう? 先日のブルルや、他の沢山の人の例を考え合わせて、唸ってしまったのであった。 ひねくれたもので、わたしは、ブルルがもう少し柔らかく柔軟に 家庭に宗教を紹介して行きたい、と言うのであれば、こんなに意固地に拒否しなかったかも知れない。 高圧的な、絶対的な口ぶりが、妊婦さんには癪に障るのであった。 家庭内宗教戦争、経験談を募ります。(笑) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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