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2005.01.25
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テーマ:マンドリン(261)
カテゴリ:編曲論
リアルの仕事が限度を超えて忙しくなると、マンドリンに接する頻度は明らかに下がってくる。何といっても飯が食えてナンボの話だ。趣味に充てる時間を確保するために最大限努力するが、本末転倒にはしたくない。

さて、僕は平成4年に多忙な職場に配属され、そこに6年も在籍した。当時、合奏団ではコンサートマスターの職にあったが、次第に毎回練習に行くことが難しくなっていった。今思えば、それでもよく続けられたものだと我ながら関心する。
プライベートの時間が削られれば、当然合奏団の外のマンドリン界との関わりができなくなってくる。当時はインターネットも一般的ではなかったので、ともすれば井の中の蛙の状態になってしまう恐れがあった。
さらに平成10年からの東京での単身赴任中は、ほとんどマンドリン音楽に接することはなく、地元からの編曲依頼にできる範囲で応じたのと、日程的に都合のよかった演奏会にアトランダムに数回行っただけだった。
その間、多数のマンドリン曲を世に出した作曲家熊谷賢一氏が自作の演奏を禁止していた時期があったということを、最近恥ずかしながらネットで初めて知ったのである。

熊谷賢一氏は、大学時代に作品を取り上げた際、二度にわたり直接指導に来ていただいたことがある。とても参考になる練習で、情熱を持って音楽にあたる、という姿勢を目の当たりにしたし、さらに練習の後、居酒屋でいろいろとためになる話を聞くことができた。

その中で特に印象が深かったコメントがある。
一つは、演奏する場合は作曲者の意図を尊重した解釈をするべきだ、もう一つは、マンドリンの楽曲を作るときはパートの民主化を図らなければならない、ということである。

熊谷氏によれば、自分の曲を勝手に取り上げているどこかの団体の演奏会にお忍びで聞きにいったのだが、あまりに自分勝手な解釈によるお粗末な演奏に激怒したことがあったそうである。
クラシック音楽の世界では、指揮者によっていろいろな解釈による演奏が存在するが、その解釈の違いも、プロの指揮者が、その音楽的才能と良心に基づいたものであることがほとんどであろうし、それほどはかけ離れたものにはなっていないと思われる。

しかし、マンドリン音楽はそのほとんどがアマチュアの楽団によって演奏されており、しかも学生の割合が非常に高い。作曲者の意図を尊重していない演奏が行われる可能性も高いだろう。自分の曲が曲解されているのを見るのは忍びないことは容易に想像できる。
編曲者の立場でも、そういうことは言えなくもない。自分の「設計図」には、当然こだわりがあるので、どこかを変更するときは、編曲者にまずは相談してほしい、という思いである。

さて、2つ目のコメントである、「パートの民主化」という言葉は、当時は聞きなれないものだった。
この精神は、現在の自分の編曲ポリシーのいわば原型であり、相当大きな影響を受けている。
長くなったので、この話は、次の機会に述べたい。





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Last updated  2005.02.23 14:08:50
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