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カテゴリ:コーチング
自分にしか興味がないのは人間の本性であり、
それゆえ根本的な「認められたい」という欲求を持ち、満たそうとする。 中には、その欲求が強ければ強いほど、 「私を見ろ」というコミュニケーションに陥り、人が離れていく。 そしてその人は集団の中で生きにくくなる。 その欲求を満たそうとすることは決して悪いことではないが、 結果その欲求が満たされることはなく不幸になっていく。 つづきです。 上記のコミュニケーションの問題において A:極端に自分のことを話し「私を見ろ」というコミュニケーションになってしまう。 B:極端に自分のことを聞き役に徹して「いい人です」を演じ、自分を押し殺す。 このジレンマどうすればいいか、という問いにとても多くのコメントをいただきました。 今までに思ってもみない斬新な意見を多くの方にいただきました。 3月6日の日記 そしていただいたコメントからいろんな気づきがありました。 集団の中で生きにくくなってしまう背景には、 下記のような見方にある気がします。 「個」と「集団」という2元的な捉え方 これを切り離された別のものとしてとらえると、 AとBのコミュニケーションは、「個」に対して集団が対立する敵のような存在 であることがみえてきます。 Aの「私を見ろ」は「集団」を従えようとしています。 Bの「いい人です」は「集団」に対して屈服している奴隷のようです。 「集団」からみても、「個」のAとBは敵または奴隷ですね。 2元的にとらえると、どうしてもどこか対立した要素が生まれてきます。 (「個」と「個」の場合も、「個」と「個」で形成される単位を「集団」ととらえます) (つづく・・) ●コーチング・個人セッション ↓癒しの1クリックありがとうございます。 ↓愛の1クリックありがとうございます。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2010.03.08 00:13:37
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