母歴19年
今日は、林檎の19歳の誕生日無我夢中で突っ走ってきた19年だったように思います。私は、結婚してから妊娠するまで、3年近くありました。不妊治療も丸一年受けて、やっと授かった大切な命でした。妊娠反応が出た時、まだすごく不安定な時期だったので、もう1週間してから、再検査しましょうといわれ、その1週間がすごく待ち遠しかった。でも無事にちゃんと妊娠していることがわかり、感動したものです。安定期に一度お腹の張りがあって、痛みが続いたので、大事をとって3日間入院しましたが、それ以外は特に問題もなく、体重増加も8kgに抑えて出産を迎えるはずでした。でも臨月に入っても下がってこないのです。経産婦は、ある日突然下がってきて、急に出産になるケースが多いそうですが、初産婦は、だんだんに下がってくるとのこと。もっと運動しないとダメかも?と思い、夫と、あちこち歩きに行ったものです。「厄除け団子」で有名な初詣で賑わう○○山にも行きました(階段がすごく多い)7月下旬の参道は、閑散としていましたが、それでも参道の途中にある店のオバちゃんが、「あんた何ヶ月?大丈夫かね?途中で産まれそうになったら私が行ってやるでね」なんて言ってくれたけど、さすがに途中で産気づくことはありませんでした( ̄▽ ̄;)予定日は26日。相変わらず下がってこなくて、子宮口も硬いままなので、検診に行くたびに、子宮口を柔らかくする注射というのを、お尻に何度もされて痛かったです~(T_T)頭が骨盤に入ってこないので、レントゲンも撮りました。帝王切開になる可能性が大きくなってきたので、先生も表情が変わってきました。ここまでくると、さすがに不安です。骨盤には自信があったのだけど・・・( ´艸`)初めての出産で、アクシデントがあるといやだな~と、とにかく不安でした。当時は、まだパソコンもなかったので、今のように、調べたいこともすぐにネットで検索ってわけにはいきません。で、その頃購読していた「Pand」という妊婦さんの雑誌があって、その中の「電話相談室」っていうのに電話してみました。どんな話をしたのかは忘れちゃいましたが、たぶん気休めだったように思います。予定日の翌日の夜中に破水してしまい、ベッドが濡れているので、お漏らししちゃったのかと思って、慌ててダンナを起こし、病院へ電話すると、すぐに来てくださいといわれ、荷物を持って入院です。その後、朝になっても夜になっても陣痛は来ず、そのまた翌日になって、陣痛促進剤を飲み、それでも強い陣痛が来ないので、午後からは点滴に切り替えられました。するとすぐに強い痛みが来て、友達と習いに行ったラマーズ法の呼吸「ヒッヒッフー」で乗り切ります。でも、お腹の赤ちゃんは下がってきません。羊水はどんどん流れ出るし、陣痛は辛いし・・・でも普通に出産したい一心で、助産婦さんに腰を擦ってもらいながら、数時間過ごしました。夕方になり、夫に来てもらうように家に電話すると(まだ産まれないと思って来てなかった)なんとパチンコに行っていて家に居ないの!父が探しに行ってくれて(携帯もない時代って信じられないよね)やっと来てくれたときは、私はもうグッタリした状態でした(;´д`)トホホ先生は、「今は赤ちゃんの心拍もしっかりしていますが、 このままではたぶん産まれそうにないので、 夜中になって、急に容態が変わって帝王切開になると、 もっと大変なことになるから、 今から手術することをお勧めしますが・・・ どうしますか? 今日は土曜日だから、もうすぐ看護婦さん帰っちゃうし。」えーっ?せっかくここまで頑張ってきたのに・・・手術になるとは(>_<)そう思って返事を渋っていると、ダンナは、「あ、じゃあそうしてください。お願いします」と言い、あっけなく私は帝王切開で出産することに・・・( ̄□ ̄;)!! すぐに手術の準備が進められ、夕方の6時半には「おぎゃ~」と赤ちゃんが産声を上げてくれました。痛かったです何ともないお腹を切るんだもん。痛いよねえ・・・それと、手術前にお腹や背中を剃毛したあとの消毒が沁みて、ものすごく痛かった!それでも無事に健康に産まれてきてくれて感謝です。かえでのことなどを考えると、健康に普通に生まれて育つって、当たり前のようだけど、実はものすごく奇跡的なことのように感じます。林檎は、3,582gもありました。でもおっぱいを飲めば吐くし、泣いてばかりいて全然寝てくれないし、初めての育児でノイローゼになりそうでした。大きく生まれたけど、体重は横這いで、同じ頃に生まれたご近所の友達とは、どんどん差がついてしまい、いつも私は不安でオロオロしていたような感じです。3歳くらいまでは、ほんとによく泣くし、すぐに抱っこおんぶをせがむし、何とかして自立させたいと、私も必死になっていた時期もあったけど、「ああ、この子は私から離れるのが不安で仕方ないんだ。 だったら、とことん抱き締めてあげよう」と思い、かえでのこともあったけど、なるべく傍にいて愛情が不足しないように、たっぷり一緒に遊んであげようと思いました。私が不安だったから、林檎もすごく怖かったんだと思います。その後、かえでと桃を、帝王切開で出産。3回も『まな板の上の鯉』を経験したので、もう怖いものなし!って感じで、ずいぶん図太くなったかもしれません^^桃が生後6ヶ月の頃、Pandの「電話相談室」から、私宛てに電話が来ました。「以前、帝王切開になりそうだといって相談の電話をいただきましたが、 その後の追跡調査をしているので、あれからどうなったかを聞かせてほしい」との事でした。いきなりの電話でビックリしたけど、あれから3人を帝王切開で出産したことを報告すると、この体験談を本に掲載しても良いか?と言うのですよ。どなたかの参考になれば、という気持ちもあったので、「どーぞ♪」といってOKしました。そして、写真を送ってほしいというので、すぐに私と子供3人の写真を撮って編集部に送り、翌月のPandに、私たちの記事が小さく載りました。ついこないだ、部屋を片付けていたら、押入れの奥の方からその時の本が出てきて、ペラペラとめくってみると、懐かしい記事が目にとまり、桃に見せてあげたら、「へぇ~~~!」と驚いていました(*´∇`*)でね、その時電話をくださった相談室の人が、「他に今は心配事はないですか?」と聞くので、「実は真ん中の息子(当時2歳半)が自閉症じゃないかと言われていて・・」と答えると、私は急に泣けてきてしまったのね。するとその相談員さんは、「私の息子が自閉症なのよ。 知的にはあまり問題がなくて、語学がすごく得意でね、 神奈川の漢字の大会で優勝するくらいだった。 今はポーランドに行っていて、そこで向こうの子と結婚したの。」 っていうじゃない。何だか、電話相談も人と人とを結び付ける大事なホットラインだな~と感じました。それ以来、かえでも何か得意なものがあればと、私も必死で探してみたけど、知的障害が大きく邪魔をすることが多くて、なかなか思うようには行かず、ここまできてしまった感じもあります。そんなわけで、今日はめでたく林檎が19歳。親になって良かった。いろいろ大変なことはあるけど、みんな元気に育ってくれてありがとう。私を母親にしてくれてありがとう。今週はテストなので、帰りが遅いらしく、お祝いは今度の週末です♪夫に、「今日は林檎の誕生日だよ」というと、「お誕生会は今夜やるの?」と言いました。「お誕生会」っていう言葉を久々に聞いて、それも夫が言うなんて、何だか笑っちゃったよ~(≧∇≦)だははは