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カテゴリ:メキシコ
初めてポールのコンサートを見たのは1990年スペイン、マドリッド。親しい語学学校のスイス人の友人カリーナに連れられスペイン・マドリッドのバスケットボールホームグラウンドにて。日本に比べるとカナリ格安のお値段で、、少し危ない場所に腰掛けて自由に楽しんだのを覚えています。当時はリンダ・マッカートニーが健在でWINGSの曲が中心でした。
次に訪れたのは1993年、初めて訪れた東京ドームで見たコンサートがポールマッカートニーでした。友人のビートルズの研究家二人と共に見に行ったのですが、そのアマリの嬉しそうな様子と詳しさに圧倒されつつ、ドームのアマリの大きさに遥か彼方のポール、音は今ひとつだった記憶があります。お値段も破格で2万円。 そして今日、メキシコにて数日前からラジオで盛んにビートルズの今日が流れていて、ポールがコンサートに来ていることを小耳にはさみつつ、ラジオ局のディレクターの主催する芝居を見に、市内中心ソカロ広場付近を通過すると、物凄い警備体制と非常に大きな舞台が設置されていて、警察の方に「何かイベントがあるのですか」と聞いてみると、「明日ポールマッカートニーのコンサートがあるんです」 「何処でチケットが買えるんですか?」 「無料ですよ」 !? メキシコシティの聖地、ソカロ広場でポールマッカートニーのコンサートが無料。驚きつつ公演直前の準備と打ち合わせに身を任せ、公演に向かう予定は全くなかったのですが、、親しいラジオ局のスタッフに頼まれていた公演先の模索で施設に相談に伺うと、なんと施設のスタッフ全員がポールのコンサートを見るため、午前で仕事を終えてしまっていました。それならば、、と一緒にトニカク駄目もとで会場へ。1週間前からテントを貼って並んでいる人がいたというので、きっと入れないに違いないと言われつつ、その場の雰囲気だけでも見る価値あり、の取材モードで駆けつけてみると案の定、ソカロ広場への入場は完全に遮断されていて、多くが柵の外に設置された大画面の前に待機していました。柵の前は危険な状況で、どうしても入りたい観客が押し寄せ柵が倒れ怪我人が、、1番前にいたのですが、これは危ないと柵から離れ非難。それでも押し寄せる人込みに翻弄されていると、警察の方に導かれ、非難もかねて会場内へ。きっとココで日本人が怪我でもされたらマズイ、、と判断されたのでしょうか、、 無事ソカロ広場の中央に辿りつくことができました。運がいいと人からよくいわれますが、今回は我ながら本当に運がいい、、とシミジミ。始まる1時間前の広場の中央で雰囲気を楽しみつつ、、当日は「母の日」だったので多くの親子が一緒に見に来ていました。母親の手を引く子供の姿に感動。ビートルズ世代の母親以上に子供が喜んで歌っている姿に感動。ポールの歌は本当に多くの方の人生に浸透していることを体感しました。 アンコールは3回、メキシコならではのマリアッチとも共演、メキシコの旗を持って登場、MCもスペイン語で行っていました。サポートメンバーも個性的で素晴らしかった。3時間のポールのコンサート中、何度も涙が溢れる瞬間がありました。周囲の方も泣いていました。Let it be, Long and widing load, Hey Jude.. 永遠のバラードは生で聴くとグッときます。それでけでなく、ステージ構成、特に背景で上映されている映像にジョンやジョージハリスンとの思い出の写真、その壮大な歴史の数々。本当に物凄い歴史を築いてこられた、、もちろん全ては良いことばかりでなく、険しく哀しい日々を幾つも超えてきたそんな壮大な人生がステージ全体に彩られていました。 なによりビートルズが大好きだった松田君のことを思っていました。ポールの送別世界ツアー、彼の魂と共に一緒に見届けました。 佐野まり http://twitter.com/sanomari http://www.facebook.com/danzacharango お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2012.05.13 21:21:24
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