|
全て
| カテゴリ未分類
| 新幹線
| 特急列車(国鉄・JR)
| 急行列車(国鉄・JR)
| 快速列車(国鉄・JR)
| 普通列車(国鉄・JR)
| 団体・臨時列車(国鉄・JR)
| 車両トピック(国鉄・JR)
| 駅・操車場・施設
| 撮影日記
| 私鉄(大手)
| 私鉄(中小)
| 旧型国電
| 電気機関車(直流)
| 電気機関車(交流・交直流)
| きっぷ
| バス
| トラック・特殊自動車
| 飛行機・船舶
| 鉄道模型
| 荷物列車
| 貨物列車・貨車・混合列車
| 第3セクター
| 地下鉄・路面電車
| ディーゼル機関車
| 蒸気機関車
テーマ:鉄道(22940)
カテゴリ:特急列車(国鉄・JR)
24系寝台客車編:寝台特急「ゆうづる」
寝台特急「ゆうづる」は、昭和40年10月1日ダイヤ改正で誕生した、上野~青森を結ぶ寝台特急です。 1年早く誕生した「はくつる」とは異なり、常磐線経由となっているのが特徴。 また、583系電車寝台との複合体系を持ち、最盛期には7往復が設定されていました。 使用寝台客車は20系が最初ですが、その後東海道スジに25形が導入された玉突きで14系や24系24形が使用されるようになり、さらには関西スジの特急の整理によって発生した24系25形の初期車(0番台)も導入され、ブルトレとして誕生した客車のうち14系15形以外は全て使用したことになります。 昭和52年頃 上野駅にて カニ24 0番台初期車 写真の様子から上野駅19番線でしょうか。20系から24系化されて間もない頃の写真だと思います。 カニ240番台の初期車はマイクロスカートと呼ばれる妻面裾の長いタイプで、先行車であるマヤ24(後のカヤ24)の形態を受け継いだスタイルとなっています。 昭和53年頃 上野駅にて オハネフ24 昭和53年時点においては、2段式B寝台は24系25形のみであり、14系や24系は3段式寝台のままでした。その後改造によりごく一部の車両を除いて2段化されることになりますが、「ゆうづる」では客車3段式、客車2段式、電車3段式と、個室を除く全ての寝台種別を使用していたことになります。(※「北斗星」への移行準備として、最末期にA寝台2人個室が連結されていました。) 昭和54年頃 大宮駅にて カニ24 0番台後期車 写真は東大宮操への回送列車を大宮駅で捉えたもので、東京では夜しか撮れない電源車を明るい時間に撮ることができる唯一のチャンスでした。 それでも上野駅に5時代に到着してしまう客車「ゆうづる」の送り回送も早朝であり、夏場でないと撮影は難しかったと思います。 カニ240番代の後期車は前出のマイクロスカートが廃止され、スマートな印象の面構えになっています。 昭和54年頃 大宮駅にて カヤ24 24系24形用として誕生した白帯の電源車です。 登場当初はマヤ24を名乗り「電源車」としての種別となっていましたが、その後、荷物輸送の必要性から業務用室を荷物室に改造され、荷重が増えた分カヤを名乗るようになりました。本来ならばこの時点でカニと変更されてもおかしくないのですが、何故か生涯カヤを名乗ったまま終わっています。 昭和57年5月 南浦和~浦和間にて カヤ24を最後尾にした25形の回送 この列車も東大宮操へのヒルネ回送ですね。 本来であれば既存の24系24形と対を成すべきカヤ24ですが、関西~九州夜行時代から何故か25形と編成を組む機会が多く、青森運転所へ転属されてからもこのような編成が多く見られました。 写真の編成も、関西から移動してきた25形0番台で構成された、A寝台を連結しないモノクラスタイプの編成のようです。 ちなみにオハネフ250番台ですが、同車は両栓構造となっており、関西時代は6両編成単位で車掌室が外側を向くようにキレイに編成されていましたが、青森へ転属して来た際にオハネフ24と同様に車掌室を青森方へ揃えてしまったようで、最後の写真でもその様子が判ります。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2024.09.14 00:51:42
コメント(0) | コメントを書く
[特急列車(国鉄・JR)] カテゴリの最新記事
|
|