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炎の独りゴマ

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2018年08月27日
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カテゴリ:母と私
【Yくん、今すぐきて】
母は、そんな無茶なお願いを
する女ではない。
厳しい戒律の寺で一家を支え続けた女なのだ。

すぐさま駆けつけ、
父と姉と私三人で、朝まで励まし続けた。

母本人からすれば、その晩で命が尽きるものと確信し、
死を私と父に看取ってほしい思いだったようだが、ホルモン剤や食事で回復してくれていた母は、持ちこたえた。

そして寝る間もないまま、
私は仕事に行ったのだが、
母は、辛そうにしながらも
安定しているように見えた。

毎日、病院には通い続けたが、
数日後、母は重体患者として、
無菌の個室に病室移動となった。

私が仕事に行くことすら、
寂しそうにする母を見て、
私は年末早々に休みをとり、
24時間、付き添うことにした。

仮設トイレの世話から何から何まで
サポートし続けたが、
一番は、母に食事を摂らせることが、
私にしかできないからである。

必死の看病の甲斐あってか、
母の酸素摂取も赤血球数も安定をみた。
母は、簡易トイレを私が世話できることから、個室を気にいっていたのだが、
病室が足りないことを一番の理由に
個室を5日ほどで追い出された。

私の疲労も限界に達していたが、
母の世話をするため、
一般病棟に隠れるようにして
泊まった。

しかし、どこにも書かれてはいないものの、母の一般病棟は、女性専用であり、
婦長の呼び出しを喰らったり、
一晩中眩しいナースステーションで
眠らされたり、母に24時間付き添うことは不可能になった。

毎日、病院が許す限界を超えた時間まで
付き添ったが、
母は、過去にないほど穏やかに話すようになり、
テレビも見なくなった。

体はよく動くようになったが、
一人で簡易トイレですら、行くことはできなくなった。
そもそも、便がでなくなり、
お気に入りの一般的な胃腸薬を
飲みたいというので、
処方どおりに飲ませた。

医師に呼び出され、
母は年内もつかどうかと言われた。
年内。
ほんの一週間ほどの話だ。

二回目の抗がん剤までは、
元気に回復してきていたのだ。
抗がん剤後も、食事をとれるほど回復したのだ。

母は、穏やかだったが、
徐々に徐々に食事を欲しなくなり、
記憶障害が出始めていた。

それでも有難いのは、その身朽ち果てようとも、記憶を失いつつも、私を一番に愛してくれていたことは、もはや疑いようもないことだった。

母は下痢の症状で苦しみ、
臭いから、看護婦もなかなか補助には来ず、
気性の荒らさからか、記憶障害か、看護婦に当たり散らすようになり、
下の世話は、私がするしかなかった。

下痢の最中、母には、かなり昔から
巨大なイボ痔があったそうなのだが、
その痔自体もガンになっており、
私が介護するか、看護婦総掛かりでないと下の処理もできなくなってきていた。

そんなこんなを続けて、大晦日。
家族恒例の除夜参りをして、
母の回復を願うことにし、
22時くらいを限界にして、
寂しがる母を背に病院を後にした。

父、姉、私三人、
母の全快を心から願った夜だった。





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最終更新日  2018年08月27日 12時54分25秒
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