2895574 ランダム
 HOME | DIARY | PROFILE 【フォローする】 【ログイン】

マックス爺のエッセイ風日記

マックス爺のエッセイ風日記

【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! --/--
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
2010.09.20
XML
カテゴリ:生活雑記
富士山足跡 40年ぶりのコース ほえー?

歩く人歩く人 県道に出て、山の方に向かって登り坂を歩く。停留所がなかなか見つからないが、この辺りは手を挙げると停留所以外の場所でも停まってくれるフリーゾーンのようで、追い抜かれる心配はない。途中には無人のスタンド。小さなケイトウの花束が100円だったり、大きなカボチャを200円で売っていたり。これから登山するため買えないのが残念。花りんごびっくり

車ダブルハート かなり歩いた頃、ようやく停留所が見つかった。後5分くらいでバスが来る。やれやれと安心した時に、1台の車が停まった。「今から登山ですか。良かったら乗りませんか」と中から声。声の主は老夫婦。やはり登山に来たそうだ。有難く厚意を受ける。話をすると案外近所の方だった。終点の駐車場で下ろしてもらい、帰りの時刻を確認。予めネットで調べた時間と全然違っていた。やはりチェックして良かった。バス時計ショック

ほえー! 泉ケ岳の頂上に登り、再びここまで下る間に許された時間は4時間。さてその時間内に帰るためにはどのコースを行くか。私達の後からバスが着き、既に登山客が歩き出している。あれは水神コースのはず。比較的緩いコースなので大丈夫だろう。だが時間が気にかかってしょうがない。時計しょんぼり

富士山目がハート 何しろこのコースを登ったのは、もう40年以上も前のこと。あの時とすっかり辺りの様子が違っていることに驚く。唯一変わらなかったのが「屋敷川」。これは麓の集落の屋敷の傍を流れ、生活用水となる川の上流なのだ。立派な「少年自然の家」の施設。昔、こんなものはなかったし、登山道はもっと明るかった。あれから40年もの間に、草原が林に変わっていたのだ。クラブクラブクラブ

歩く人歩く人 目の前に若い登山客の集団。その後について行く黒人の若い女性。彼女はきっと留学生だろう。その集団を追い越す。だが暫くすると黒人の女性に抜かれた。何と彼女が履いていたのは普通の靴。きっと濡れた山道が滑るはずなのに、身体能力が高い彼女は身軽に登って行った。どれくらい登ったのだろう。いつしか「水神」の石碑まで来ていた。オーケーあっかんべー

ノートえんぴつ 石碑が建てられたのは明治初期で、建てたのは当時の「泉ケ岳村」の有志。きっとこの谷川の水が、田圃の水や生活用水としてよほど貴重だったのだろう。私がまだ高校1年の時、クラブの先輩に連れられ、麓の集落からこの場所まで夜道を歩いたことがあった。あれが初めての登山経験。昔はこの「水神」にテントを張って1泊したのだ。目がハート眠い..

上向き矢印涙ぽろり 道はここで別れるが、私達は泉ケ岳を目指す。初級者向きの緩い登りの記憶があったのだが、大きな岩がゴロゴロして意外に厳しい。次第に妻が遅れ出す。実は妻も大学の同窓で、学生時代に何度かこの山も一緒に登ったことがある。まだ若かった頃はほとんど疲れを感じずに登れたのだが、今では滑る岩や不安定な石に悪戦苦闘する歳になった。わからん雫

スピーカ 「私はこれで70回以上登ったよ」。上方でお年寄りの声がする。誰かに自慢しているようだ。登って行くと中高年の集団が休んでいた。だが、アフリカの女性の姿はない。「お父さん頂上はまだなの?」。「まだだよ。この先にガレ場があるはずだから」。疲れて来た妻に答える。私はコースの状況を覚えていたが、妻はすっかり若かりし日に登った山のことを忘れてしまったようだ。おとめ座?

バイバイスマイル 厳しい登りの連続の末、ようやくガレ場に出た。青空の下、右手には大倉ダム方面と標高1422mの後白髪山が、そして前方遥か彼方には仙台の街が遠望出来た。素晴らしい眺めに、これまでの苦労が吹っ飛ぶ。だが、休んでばかりはいられない。頂上まではまだ少しあるはず。疲れた妻を励ましながら、さらに前進。だが、道の様子がどこかおかしい。ほえー?足跡<続く>





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  2010.09.20 11:06:13
コメント(4) | コメントを書く
[生活雑記] カテゴリの最新記事


PR


© Rakuten Group, Inc.