【粗筋】
吉原の花魁・小糸は、花川戸の染め緒問屋の職人助七と愛し合い、腕に「助七いのち」「小糸いのち」と彫り物を入れている。後三月で年季が明け、夫婦になるはずだったが、まむしの伊吉(いよし)という十手持ちが小糸に岡惚れ、助七を陥れようと回りを探り、友達と博打を打ったことが分かると、助七だけを牢に入れる。牢に入っていた罪人も伊吉にいわれて助七に嫌がらせをし、ついに助七を殺してしまう。年季が明けた小糸が助七の家に行くと、老いた母が一人取り残されている。小糸は染め緒問屋の下働きとなって母に孝行を尽くすが、母は風邪をこじらせて死んでしまう。一人になった小糸のところに、まむしの伊吉が現れる。逃げられないと悟った小糸は、母の法要をすますと、助七の墓の前で自害する。これが瓦版で話題になり、小糸を揚巻、助七を助六、まむしの伊吉を髭の意休に脚色して歌舞伎の『助六』が出来上がります。
【成立】
三遊亭円楽(5)の自作自演、昭和57(1982)年7月31日、上野鈴本の独演会で初演。足立区伊興町間易行院は、1812年に市川団十郎(7)が助六・揚巻の比翼塚を寄進したので、助六寺と呼ばれる。助六の墓には「承応二歳癸己(1653年:私注)2月11日没」と彫られており、過去帳には「1日没」とされている。円楽はこの寺の住職の息子、本人の墓が死ぬ前からあった。寺の出身だというので、前座名は全生、円朝の墓のある谷中の全生庵から取っている。
助六については京都島原の遊女の心中事件だ、など諸説あり、円楽はまとめるのにどうするか悩んだようだ。助七・小糸というのは本名というが、寺の過去帳では「売女小糸」だけで戒名もない。芝居の揚巻とは桁違いだが、一生を助七に捧げたのは事実らしい。敵役の「まむしの伊吉」は洒落で作った名前、「笑点」で座布団運びだった毒蝮三太夫の本名が石井伊吉で、「ウルトラマン」にはその名で出ている。土曜のお昼にやっていた演芸で立川談志の殿様との掛け合いをやっていて、その役名を芸名にした。