【粗筋】
源さんが遊びに来たがずっと頭巾をかぶったまま。訳を聞くと、戎様に福を授けてくれるよう祈ったら、7日目に姿を現して両の手に一枚ずつ小判をくれた。しかし、「戎金」というくらいだから使えないのでは、と疑った途端に罰が当たって、小判が二枚とも目の上、額にくっついてしまったと言うのである。
「これは本物の慶長小判。純金だぞ」
「どうにかして取れませんかねえ」
「ううん……2枚ともはというの難しいが、1枚なら確実に取れる」
「1枚でも結構です。どうしたら取れます」
「鼻の頭に桂馬を打て」
【成立】
宝永6(1709)年『軽口利益咄』の「念仏講」。二世曽呂利新左衛門が、大正3(1914)年に録音(米ビクター)を残している。「恵比寿」と書くのは構成の当て字。上方では「えべっさん」、東京でも大黒と共に福の神としてあがめられ、商人の家ではペアで祀った。
「戎金」は熊手や笹の葉に飾る偽物の小判。東京には「甲子のエビス金」という言葉あるので疑ったという台詞があるらしい。同じことだが、甲子の日には大黒様を祭る風習があったから。二世曽呂利新左衛門も、毘沙門、大黒、最後は戎と信心する相手を乗り換えるという七福神巡りを語っている。