【粗筋】
道楽が過ぎて勘当になった若旦那の徳兵衛が、船宿の二階に厄介になり、ぶらぶらしていても仕方がないと、船頭の仲間にしてもらう。三年も経つとどうやら一人前にを漕げるようになったが、道楽をして船頭になったので評判も上々。
ある日本町の木綿店の番頭ら三人が、油売りの九兵衛の取り巻きで船に乗った。植木店のお初という芸者を連れてきており、吉原へ繰り込むのだが、芸者を連れて行くのでは見世に嫌がられると、お初だけを船に残して上がって行った。お初を乗せて船宿に戻るが、吾妻橋をくぐった頃に激しい雷雨に襲われ、首尾の松のところで船を止め、徳兵衛も屋根の下へ入って雨宿りをする。二人で酒を飲んでいるうちに心の通い合うものがあって、互いに自然に膝を寄せ合うまで近付いた。とたんに蔵前の八幡あたりにピシーッと落雷。お初が思わず徳兵衛の膝へかじりつく。
天気が回復したので船宿へ戻ると、九兵衛が駕籠で先に戻っていた。桟橋を上がるお初のほつれ髪を見て、自分がぞっこん惚れ込んでいる女を横取りされたと、これから九兵衛が中へ立って二人の身の詰まりになります。「お初徳兵衛」の発端でございます。
【成立】
人情噺。橘家円喬の速記が残り、古今亭志ん生(5)、金原亭馬生が演じたが、いずれもこの宿へ戻る場面で切っている。今は五街道雲助が絶品。
三遊亭円遊(1)(俗にステテコの)が、この前半部、船頭に成りたての徳兵衛を滑稽に演出したものが「船徳」、完全に独立してよく取り上げられる。
【後筋】
九兵衛が二人をねたんで嫌がらせをし、追い詰められた二人が心中に追い込まれていく。古いものでは、お初の他に、徳兵衛と何人かの娘との艶話が並べられていたといわれる。
【蘊蓄】
「お初徳兵衛」の物名は近松門左衛門の名作「曽根崎心中」から取ったもの。近松の作品は、道行文が名文とされている。
此の世のなごり、夜もなごり。死にに行く身をたとふれば、あだしが原の道の霜、一足づつに消えて行く。夢の夢こそあはれなれ。あれ数ふれば暁の、七つの鐘が六つ鳴りて、残る一つが今生の、鐘の響きの聞きをさめ。寂滅為楽とひびくなり……