【粗筋】
帯屋久七が呉服屋和泉屋与兵衛に金を借りる。与兵衛は証文も取らず無期限無利息で貸したが、20日ほどできちんと返却された。この後金額が増えて同じことが繰り返され、11月に借りたのが百両。大晦日に返すが、与兵衛がお屋敷から呼ばれて退席し、久七は置いたままの金を盗って帰ってしまう。
帯屋はこれを元手に大繁昌。一方和泉屋は娘と妻を相次いで亡くし、大火事で家も倉も失って病の床につく。番頭の武兵衛が分家をして同じ和泉屋を名乗っていたが、こちらも落ちぶれて日雇いになっていた。それでも主人を引き取って介抱し、10年でようやく働けるまでに快復させた。与兵衛はもう一度商売を始めようと、帯屋久七に金を借りに行くが1文も貸さず、悪態を付いて追い出す。放火をしようとしたのを見回りの町役に捕まるが、顔見知りがいて与兵衛の窮状に同情、不問にした上3両を出してくれる。帯久の方では、今回のことで百両の一件が露見することを恐れ、火付けの罪で与兵衛を訴えた。
大岡越前守はそれぞれの様子から全てを見抜き、帯久に、
「百両を返しに来たが主人が出掛けたので、間違いがあってはと持ち帰ったのであろう」
と、盗みは不問にしてやろうとするが、帯久があくまでも白を切るので、人指し指と中指を結わき、思い出すおまじないだから解いてはならぬと厳命する。帯久は指が使えず、とうとう降参、奉行の言う通り百両を持ち帰りましたと申し出る。奉行は利子が十年で五十両になると計算し、帯久は今元金だけ返し、残りは毎年1両ずつ返却するという許しを得、これで損はないとほくそ笑む。さて、火付けの与兵衛には死刑の判決であるが、残金を全て受け取ってからの執行との裁き。驚いた帯久がそれなら今出すと言い出して奉行にどなりつけられる。
「与兵衛、その方何歳になる?」
「61でございます」
「還暦か……本卦(本家)じゃの」
「今は分家の居候でございます」
【成立】
大阪の一人暮らしの婆さんが隣の男に金を貸したが、やがて生活に困るようになり、金持ちになった男に催促すると、過去のことだとして相手にされない。火をつけようとして捕らえられ、西町奉行の曲淵甲斐守が裁きを言い渡す。男が借りた金は利息をつけて20年掛けて返す。婆さんはそれを受けとった後で死刑という判決。70歳の婆さんへの温情判決であった。明和3(1766)年のこととし、『明和雑記』に収められている。
これがそのまま粗筋のように内容を変えて上方落語「指政談」となったが、裁きを申し渡すのは松平大隅守で、桂文団治(4:昭和37年没)が演じていたという。
東京では三遊亭円生(6)が桂文枝(3代目か)の「名奉行」と題された速記を読んで東京へ移入、『江戸の華』という火消しの歴史を記した本を参考に、享保6(1721)年の大火にし、同じ時代の大岡越前守が裁きをするという内容に改定した。上方から江戸に移すのに、奉行を変えなければならない訳だが、それが嘘だと分かりきっていることに迷いがあったらしい。その後、先に紹介した『明和雑記』を発見、奉行は誰でもいいのだという確信を得て、安心して演じるようになった。
【蘊蓄】
還暦は生まれたのと同じ干支が巡って来るので、今は60歳。昔の数え年では、生まれた時が1歳で、お正月に1歳ずつ加わったので、61歳で還暦になる。