【粗筋】
大変な縁起かつぎの呉服屋の主人五兵衛、めでたく正月を迎えようとしている。しかし、年男の権助に若水を汲みに行かせ、井戸に橙を落として、
あらたまの年立ちかえるあしたより若やぎ水を汲み初めにけり
の和歌をよみ、「これはわざとお年玉(落とし玉)」と言うように命じたが、
「目の玉のでんぐり返るあしたより末期の水を汲み初めにけり……これはわざとお人魂」
とやって主人は頭を抱える。雑煮を祝う時に餅の中から釘が出て、せっかく番頭が、
「餅の中から金が出て、金持ちになる」
と喜ばせたのに、小僧が、
「それは順番が逆で、金の中から餅が出れば金持ちかも知れないが、餅の中から金が出たのだから、この身上持ちかねる」
とふいにする。
年始帳の転記をしようと長吉に読ませると、天満屋勘兵衛を「てんかん」、渋屋藤吉を「しぶとう」、湯屋の勘太郎を「ゆかん」と不吉な名前を並べる。主人が嫌な気持ちになってくるところを、番頭が代わって琴平屋武吉を「ことぶき」、鶴屋亀吉を「鶴亀」などと縁起のいい名前だけをよって機嫌を取り、ようやく主人の気がすんだ。
吉例の宝船を売りに来た男が値段を聞かれて「四文(しもん)」というと、「し」は「死」に通じて縁起が悪いと追い返す。次に来たお宝売りは番頭に知恵をつけられ、「四文(よもん)」と言って喜ばせたので、五兵衛が祝儀をはずんでご馳走することになった。このお宝売りが口のうまい男で、めでたいことを並べた上で、お宅には七福神がそろっていますと言う。
「それはうれしいね。で、どういう訳で」
「娘さんが弁天様、御主人が大黒様で、はい、これで七福神がそろいました」
「おいおい、まだたった二福じゃないか。」
「それでもご商売が呉服(五福)でございます。」
【成立】
寛永5(1628)年『醒睡笑』の「もの祝い」などのオムニバス。安永6(1777)年『畔の落穂』などに落ちの部分が見える。円朝の速記も残っている。
柳家小さん(2:俗に禽語楼)は元日の雑煮の後、早桶屋が来て縁起の悪い話ばかりするので五兵衛が寝込んでしまい、翌日にお宝売りが来るという二日間の出来事にしていた。これでは中で切れるため、一日の出来事にして演じるのが現在では一般的。現実にも、大晦日から寝ずに元朝を迎え、雑煮を祝ってから昼間に寝る、その夢が初夢なので、この方が筋が通っている。
禽語楼小さんは「かつぎや五兵衛」という題で演じた。「七福神」「正月小僧」とも呼ばれる。上方の「正月丁稚」はこの噺に東京の「厄払い」を加えたような内容。枕と宝船の場面がふくらんで「しの字嫌い」に発展している。
権助の若水汲みは、正月最初に水を汲むもので、男は裸になって身を清めたりする。雑煮から金が出るのは、昔の落語では餅にわざと銭を入れたという演出を聞いた。年始帳に縁起のいい名があればいいというのは、川柳に「札帳に徳兵衛とこそ書かれたり」とある。これを旦那がチェックするのだが、「一日の御慶こたつへ取り寄せる」というのもある。落語を知っていると「御慶」というのがいいね。宝船は、七福神の乗った船が描かれ、「長き夜の唐のねぶりのみな目覚め波乗り船の音の良きかな」という歌が書かれている。これを枕の下に敷いて初夢を見る。悪い夢を見ても問題なく、歌は回文になっているので逆さに読んでも同じ、悪夢がひっくり返って縁起がよくなる。この宝船を売る人が七福神がそろっていると言うからうれしくなるわけだ。