【粗筋】
道具屋でし瓶を花瓶だと思い込んだ侍、主人が「しびん」だと言ったのを作者名と思い込む。主人も侍の勘違いに付け込んで、五両というとんでもない値を吹っ掛けた。言い値で買った侍、家を訪れた友達にし瓶が何かを教えられ、怒って店に押しかけた。道具屋は、たった一人の母が病気で朝鮮人参を飲ませなければ助からない、と嘘を並べてようやく命を助けてもらった。侍が帰った後で、
「しかし、『金も命もその方にくれてやる』と、すうっと帰ったことなんざァ、花は桜木人は武士……偉いねッ、よく『金を返せ』と言わなかったなァ」
「小便は出来ねえんだよ、し瓶が先方にあるんだ」
【成立】
宝暦3(1753)年『軽口太平楽』に、「この花生は溲瓶ではござらぬか」「イヤ、左様の名のある道具ではござりません」という噺があり、これが原話と考えられる。文化4(1807)年の噺家喜久亭壽暁のネタ帳『滑稽集』に「さむらい シびん」とある。
上方では「溲瓶の花生」と呼び、東京に移入されて「溲瓶」と題されていたが、題名が不浄な感じを与えるので「花瓶」と改題されたものらしい。
落ちの「小便をする」とは売買契約を破棄すること。「道具屋」にもこの言葉の勘違いを扱ったくすぐりがある。元禄7年『正直咄大鑑』赤之巻4「買て少弁」に「商人の売物にねをつけてまけたるとき、かわぬを江戸ことばにしやうべんすのるといふ由来」があり、左少弁道明卿の御家人が、値切って負けさせたのに買わずに帰り、少弁というようになるという語源説……もちろん笑い話だが、右少弁ならわきまえることもあるが、左ではだめと、理屈っぽい説明が長々続いてくたぶれる。
桂文楽(8)の枕では、大正時代の成り金が壺を買いに来たという噺を伝えている。この客は 500円の品も 800円のも1000円のも満足しない。最初の 500円の品を箱だけ変えて1500円としたら買ったという。
次のものは海外の笑い話。
ある将軍がユダヤ人の店が悪どい商売をしているというのを耳にして、軍曹を連れて視察に出掛けた。軍曹が全て心得ているので、「そのユダヤの商法というのをお目に掛けますので、将軍は黙って見ていて下さい」と言う。店へ入って、「将軍が左利き専用のコーヒーカップを所望じゃ」と言うと、どこの店でも「ございません」と断っていたが、問題の店の主人はカップを後ろ向きにして出し、「今これしかありません。普通の4倍の値段なのですが将軍様ですから半額に致します」と、本当の倍の値段を申し出た。軍曹は、デザインが気に入らないと断って店を出、「いかがです、将軍、これがユダヤの商法というやつです」
「何がユダヤの商法だ。ただ偶然左利き用のカップがあったというだけではないか」
【一言】
『花瓶』に登場する道具屋は、町なかのガラクタを並べたてた店で商売をしている。道具屋といえば落語の世界ではお馴染みの商売で、道端に品物を並べる俗に天道干しの『道具屋』をはじめ、『火焔太鼓』『竃幽霊』などにも出てくるが、どれもいかにも落語国の住人らしい気のおけない親しみがある。ところが『花瓶』では、『初音の鼓』の道具屋がいけ図々しいところがあったように、いかにも世智にたけたしたたかさを示している。道具屋という商売が江戸時代の庶民生活と密着していた一方で、いかに性悪な祖不買をしていたかの一面を示すものともいえよう。もっとも昨今でも、やれ円空の、仙崖の、この壺はどうの茶碗はこうのと、偽物が正々堂々一流といわれる鑑定家の眼光をすり抜けてまかり通るニュースが伝えられるところをみると、『花瓶』式の商売はなお成り立っているようである。(安藤鶴夫)
【蘊蓄】
当時は道具屋といえば今の古道具屋をさし、高価な古物や古美術品を扱う骨董屋とは区別していた。