【粗筋】
新三に掛け合いに来た源七だが、押さえつけようとする源七に新三が腹を立てて喧嘩になり掛けるところを車力の善八が止め、源七は悪態をついて表へ出る。
そこへ家主の長兵衛が声を掛け、自分が掛け合うから金を30両に増やしてくれるよう頼む。大家が行くと、新三は初鰹で一杯やろうというところ。大家は、源七に毒づいたことをほめておいて、今度は自分が間に入ったから30両で手を打てと言う。大家には警察権を持ち、検事や弁護士までやる。何かあった時面倒だから、新三のような無宿者に店を貸す家主はいないのだ、言うことを聞かないと白子屋さんに付いて、お前を訴える……と言われると、新三は従わざるを得ない。娘を返す約束をさせ、初鰹を半身、それも骨付きの方をもらうことに承諾させると笑顔で帰って行く。
入れ違いに善八が来て、お熊を連れ帰す。長兵衛が来て約束の金を渡すが、出したのが15両。
「おい、約束が違うぜ」
「しっかりしろよ。鰹は片身もらう約束だろッ」
「えッ、片身ッてえのァ、魚だけじゃァねえんですかい」
また大家の脅しが入って、新三しぶしぶ承知するしかない。
「それでいいんならさっさと受け取れ……おいおい、みんな持ってっちまっちゃいけねえ、このうち5両は店賃にもらっとくから」
「おッ……じゃ、お前さん、10両しか残らねえ」
「愚痴を言うなてんだよ……鰹は片身もらっていくよ」
「このうえ鰹まで持ってかれりゃァ型ァねえや」
狼の人に食わるる寒さかな
「髪結新三」でございます。
【後筋】
腹を立てた源七が閻魔堂橋で新三を待ち伏せして殺す。その後永代橋の三右衛門という居酒屋で酒を飲み、足に血が付いていたのを注意されて、犬を斬ったとごまかして表へ出るが、永代橋まで来て考え直し、引き返すと老夫婦を殺す。この時に蓑を忘れたことから、新三と夫婦を殺したことが発覚し、裁きとなる。
芝居では、居酒屋の代わりに蕎麦屋が登場し、これが新三殺害の目撃者となる。源七に恩義を感じた忠七が、自分が真犯人だと名乗り出て、その姿に打たれた源七が自白、奉行の情けある裁きでめでたく幕となる。
【成立】
明治中期から演じられなくなっていた部分を、三遊亭円生(6)が春錦亭柳枝(3)の速記から工夫して作り上げた。古い記録の「髪結新三」はほとんど橋の場面で終わっていたのだが、円生はこの交渉部分をメインにした。通しで演じた例もあるようだが、休憩をはさんで上下を別々に演じないと長すぎる。全集、「円生百席」ともこの形式を取っているので、ここでも2席に扱った。
☆この落語の気になる台詞
1:「私はいつでも婆ァに親分のことをのろけているんでございますよ」:家主が弥太五郎に言う台詞。黙阿弥の台本では、新三が家主に「だから私ァ、家主さんじゃァのろけます」
「こんないいセリフをいまでは舞台でカットしている」と宇野信夫が嘆いている。
2:「新三の奴は、店賃や何かそのかどで」:「そのことで」ではない。
3:「陰のぞきもしない」:「ちっとも顔を出さない」あるいは「訪ねて来ない」
4:「イケ好かないやつだよ」:東京の悪態には「イケ図々しい」「イケしゃあしゃあ」「イケッ太い」と「イケ」が付く。歌舞伎座で「ド助平」と鳶の女房が言ったが、「ド」は上方の悪態。「ド阿呆」「ド根性」悪い場合にしか使わない。「ド根性曲がっている」「ド根性腐っている」ので、野球漫画の主題歌で誤った使い方が話題になった。
5:「家主さんには、こめられてばかりいる」:「やり」が付かない。短い台詞の方が歯切れがいい。
【蘊蓄】
歌舞伎の『梅雨小袖昔八丈』の髪結新三の場では、竹笛でホトトギスが鳴くと、花道から湯あがりの新三が手拭浴衣、髪に房楊枝をさして出て来る。後ろに鰹を届ける魚屋と、「目には青葉山ほととぎす初かつお」という山口素堂の句が描かれる。盆栽が置かれているが、これが「青葉」であり、戸板康二は、黙阿弥の台本に指定がないので、菊五郎(5)が工夫したのだろうと推察している。
初鰹の値段は特に定まってはいない。鎌倉小田原から、舟足の速い押送船(猪牙型で五、六挺の櫓で漕ぐ)で来るのだが、これが魚河岸へ同時に三艘も入ると値段が下がってしまう。最初の鰹船が着くと、恒例で初物を将軍へ献上し、それから売り出すので、御祝儀相場で一番高くなるのが、年によって差もあり、最高値は三両、安いのは200文以下。普通でも一番と二番で鰹の値段が違うので船同士の競漕は大変なものであった。
蜀山人は断酒を誓ったが鰹に負けた。その時の歌。
鎌倉の海より出でし初松魚皆むさしののはらにこそ入れ
尚、当時は酒好きな人は刺身を辛子、または辛子味噌で食したという。旧暦の4月中に食べるのが通で、土用に入ると見向きもされなかった。