【粗筋】
伊勢詣りの途中、村の神社に見世物小屋が出たのを見物に行く。軽業小屋へ入ると、長口上の間に太夫が落ちてしまった。
「ああ、長口上(生兵法)は大怪我の元や」
【成立】
上方の「東の旅」の一部。「前口上」をのぞいて24に分けた10番目。
「これから『地獄八景』につながります」と、後を匂わせて下りた演者もあったらしいが、実際には続けて演じられることはない。次の「軽業講釈」に続けた例はあるようだ。この前の「もぎとり」はインチキ見世物小屋の小噺を並べたもので、そのままこの噺に入って行くことが多い。桂米朝によれば、「太夫(猿)も木から落ちる」「軽業(体)中が痛い」などの落ちもあったらしい。
【蘊蓄】
室町から江戸に掛けて、「蜘蛛舞い」という芸があった。軒から軒へ蜘蛛の巣のように縄を掛けてあっちへ行ったりこっちへ来たりしていたが、やがて綱渡りの芸となり、女軽業師が多く出た。江戸の両国から浅草寺奥山に掛けて、見世物が出るようになると、紙・糸・硝子・竹の細工、足芸、力持ち、軽業、独楽回しなどの大道芸がにぎわったとある(『守貞漫稿』)。