【粗筋】
与太郎が表の掃除を命じられたが、そのまま箒を使うので埃がひどい。掃除の前には水をまけと言われた与太郎、正直にも今度は二階の座敷に水をまいて掃除を始める。親父に二階の片付けをするから店番をしておけと言われたが、折からの夕立。「水をまいて損をした」とぼやいているところへ、雨宿りの人が来たので傘を貸してしまう。これを聞いた親父が怒って、
「うちに貸し傘はございましたが、この間からの長湿気で、骨は骨、皮は皮とばらばらになって修理に出しております」
と断るように教える。
そこへ隣の人が来て、鼠を追い込んだから猫を貸してくれと頼むと、
「うちに貸し猫はございましたが、この間からの長湿気で、骨は骨、皮は皮とばらばらになって修理に出しております」
と断ってしまった。
親父はこれを聞いて、
「猫ならうちに1匹おりましたが、さかりがついて表へばかり出歩きまして、海老の腐ったのでもいただきましたのか、お腹をこわしております。お宅で粗相でもするといけませんのでお断りを致します」
と断るように教える。
今度は山田屋さんから、道具の鑑定に旦那にお出でをいただきたいと迎えにきたが、
「うちに1匹おりましたが、さかりがついて表へばかり出歩きまして、海老の腐ったのでもいただきましたのか、お腹をこわしております。お宅で粗相でもするといけませんのでお断りを致します」
と断ってしまう。
これを聞いた親父がまたまた怒って、
「主人は今疝気でございます」
と断るように教える。
そこへ今度は火鉢を借りに来た人がある。
「火鉢は疝気でございます」
と断ると、
「おいおい、火鉢が疝気になるかい」
「だって、借りに来たのが金玉火鉢だから」
【成立】
能狂言『骨皮』を江戸時代のおたいこ医者、石井宗伯が翻案したといわれ、「骨皮」とも呼ばれる。天保15年『古今秀句おとし噺』の「骨皮」は、文庫本で3ページにもなる小噺で、ほぼこの落語と同じ。享和2(1802)年、十返舍一九の『臍繰金』にある「無心の断り」も同じような噺で、寺で傘を貸して、和尚から「骨は骨皮は皮」を教わって馬に使う。「牝馬を追い掛けて怪我をして豆ばかり食わせています」と教わり、そのまま和尚に使う。馬と豆でちょっとバレ掛かる感じ。和尚が怒って「わしと馬を一緒にするのかと」言うのに、「あなたの顔はヒン相だ」という落ちになる。
現在は主人を断ったところで、主人が山田屋さんに言い訳に行き、そのまま「金明竹」につなげる。芸協ではほとんど「金玉火鉢」から始まっている。今回の「金玉火鉢」という部分だけを演じることはないようだが、古今亭志ん生(5)は演じていた。
ばかの一つ覚えという与太郎の得意とするパターンである。「金明竹」が同じ言葉を繰り返すが相手に全く分からないという型であり、「金玉火鉢」では品物が変わっているのに同じ言葉で意味が通じてしまうおかしさとが、見事な好対象となっている。
【蘊蓄】
金玉火鉢は、火鉢を足で挟むようにして使用する方法、またその火鉢。