【粗筋】
豊臣秀吉の前で、九州小倉藩の毛谷村六助と、色々な相手が相撲をとる。負けた相手に曽呂利新左衛門が一首ずつ狂歌を詠んでいく。
大山伯耆という石田三成の家来が、突き飛ばされて三成の前へ飛んで行き、三成の頭を蹴飛ばすと、
ほうきだけ土俵の砂をかき下がり主人の頭けるはふと山
渡辺勘兵衛がつかみ出されると、
渡辺はかねて手取りと聞きたるにつかみ出されてくやしカンベエ
可児才蔵がはたき込まれて負けると
はさみ手を取られてカニの負け相撲横にはうのを前にはうとは
【成立】
講釈種。御前相撲で三十四人抜きをやったという毛谷村六助の話の一部を独立させたもの。
曽呂利新左衛門は、太閤の御伽衆として有名だが、その人物についてはよく分からない。刀の鞘師で、刀がそろりと入るからその名で呼ばれたというが、鞘を作ったという話は一つつしかない。太閤の刀を作ったが、がばがばで、使い物にならなかったという。実は堺の武器商人とつながっていたというのが一番説得力のある説。