【粗筋】
按摩の杢の市、女房が馬之助という奴と間男をしているといわれた。最初は笑っていたものの、そう言われると素振りがおかしい。目が見えなくては仕返しも出来ないと、清水の観音様へ通って、目をあけてくれるようにと信心を始めた。
女房の方でも、急に亭主が清水参りを始めたのを不審に思って後を付けると、
「女房が間男をしている様子なので、どうか目を開けて下さい」
と拝んでいる。びっくりした女房、馬之助と二人で、清水へ参り、
「どうか、亭主の目があきませんように」
と通うようになった。
ある日、いつものように拝んでいた杢の市の目がぱっとひらいた。
「よし、女房め。見ていろよ」
振り返ると、一心に拝んでいる自分の女房と馬之助。これを見た杢の市、
「ああ、よその夫婦は仲がええな」
【成立】
寛政元年『かたいはなし』の「座頭」は、座頭の女房が駆け落ち、目が明くよう社へ日参、目が明いたが、盲人のふりをして尋ね歩く。女房が間男と二人連れで歩いていると、元の夫である座頭がこちらへ歩いて来るので、横町へ隠れる。座頭、横目で見て、「今のはいい女だ」
東京で「信心」という題で演じられていたが、上方種であろう。「杢の市」、人物名を変えて「新壺坂」とも。
安永6(1777)年『喜美賀楽須』の「座頭」は、信心で目が明き、「お前が俺の女房か」と言うと「初めてお目にかかります」と答える。
幕末の西沢一鳳作『皇都午睡』二編上巻の「検校」が落語をまとめたもので、この前に桂文治の道具噺がくどいから、素噺で面白いと思うものを挙げるを説明した部分がある。
武藤禎夫は「サゲの文句は、盲人の悲哀さがにじみ出ていてどうにも笑えない」としている。そこがドラマでしょう。
【薀蓄】
「壺坂霊験記」は次の物語。
大和の壺坂寺のほとり土佐町に住む座頭の沢市、女房のお里が琴や三味線の稽古をしながら近所で頼まれる洗濯や使いなどをして稼ぐのを頼りに、細々と暮らしていた。夫婦になって三年、お里が朝方になると寝床を抜け出していくので、「自分が盲目なので外に男でも」と疑いを持つようになる。夫の疑いを知ったお里は驚き、疱瘡から盲目となった夫のため、壺坂寺の観音様に祈願を続けてきたことを告白する。
沢市は不自由なひがみから、貞節な妻を疑ったことを詫び、お里の奨めに従って壺坂寺にお参りを始める。壺坂寺はその昔、桓武天皇の眼病が時の住職の祈祷によって平癒したという、西国六番の札所。沢市は三日間断食をして本堂に篭り、御詠歌をあげ続ける決心をしていた。 しかし、お里が帰ってしまうと、どうせ望みは叶うまい、死ぬのが妻への返礼と思い込んで、谷に身を投げる。山に戻ったお里は、夫の姿が見えないので狂ったように探し回り、谷底で死体を見付ける。形見の杖を抱きしめて、沢市の後を追い自分も谷底へ飛び下りる。
谷底に並んだ夫婦の前に観音様が現れ、お里の貞節と信心によって寿命を延ばすと告げる。二人は息を吹き返し、沢市の目も見えるようになった。