【粗筋】
長屋に住む独り者の熊五郎、隣の作蔵が女を連れ込んでいるので嫌味を言いに行く。この作蔵、元は士族で、今は古紙回収業として、京を回った折に祇園の芸妓の絵姿に一目惚れ、その絵を買い取って毎日供え物をし、現実にこの美女に会えるよう祈っていると、その女が絵から抜け出して来たのだという。作蔵のいる時以外は絵の中に隠れていて、作蔵のいる時だけ絵から出て甲斐甲斐しく働いてくれる。飯を食わないので金も掛からず、絶世の美女ではあるしということで、まさに我が世の春だという。
熊五郎も同じようにやってみようと、籠を持ち出して近所を歩き回り、やっとのことで花魁の絵姿を手に入れる。拝むこと数日、絵から女が抜け出てきたのはいいが、あれが食いたい、これが食いたい、朝寝坊させろ……と注文が多いうえにとんでもないぐうたら。ひどい女を女房にしたと思っても後の祭り、そのうち女は熊五郎が仕事に行っている間に行方をくらましてしまった。易に凝っている大家にみてもらうと、
「清風と出た。これは神隠しじゃないか」
「いいえ、柱隠しでございます」
【成立】
三遊亭円遊(1)の作と伝わる。
「清風」とは、天狗の羽うちわが起こす風、神隠しが天狗のしわざと考えられていたので、大家は冗談半分に神隠しだろうと言ったもの。「柱隠し」とは、柱にかける書画のこと、つまり絵に戻ったのだろうという落ち。
後の女がぐうたらだという設定は面白いが、それ以外にこれという聞かせ所もなく、どうしても消えていく噺。
【一言】
百花園の速記で見ただけです。まずやった人はないでしょう。(三笑亭圓生(6))
【蘊蓄】
1869(明治2)年の版籍奉還による、いわゆる没落士族を背景においた作品。