【粗筋】
正月になると忙しくてなるからと、七福神が全て分担を決めておこうと会合を開いたが、大黒と弁天が来ない。二人が駆け落ちをしたことが分かり、五人で手分けをして探すことになった。さて、大黒・弁天の二人が逃げていくと、どこからか清元が聞こえてくる。
♪今も昔は川原町 名代娘のただ一人 おくれ道なる久松も まだ咲きかかる室の梅
これを聞いた二人は心中をする決意をしたが、弁天が覚悟を決めて合掌しているのに、大黒の方は死ぬのをやめようと言い出す。
「ここまで来たのだから、商売をしよう。屋号は『七福屋』でよかろう」
「でも、あなたが大黒様で、私が弁天ですから、二福しきゃないわ」
「商売は呉服屋をするんだ」
【成立】
大正4(1915)年の『三友派桂派落語名人揃』に出ている。落ちは「かつぎ屋」と同じで目新しさはないので、音曲噺で聞かせたものであろう。
豊後節が宮古路豊後掾(1660~1740)によって始まるが、心中道行を題材として、これに刺激されて心中事件が流行したため、文化4(1739)年に禁止された。清元を聞いて死にたくなるのは、ここからの創作。
弟子の文字太夫が延宝4(1747)年に常磐津節を起こし、弟弟子の小文字もその傘下に入ったが、翌年(寛延元年)に独立して富本節を興し、富本豊前太夫と名乗った。
清元はここから分かれたもので、文化11(1814)年、清元延寿太夫(1:1777~1825)によって創設された。