【粗筋】
奥方が旦那から帯を買ってもらう約束を取り付けて大喜び。
「帯を買ったら芝居に行くわ。役者への祝儀がいるから、金を借りに横浜の親戚に行くついでに、金沢八景と江ノ島を見物して、大磯から箱根へ足をのばし、興津の清見寺、久能山、小夜の中山から豊川稲荷へ抜けて、熱田神宮伊勢神宮、二見ヶ浦で朝日を拝み、近江八景を見物して京都から奈良の大仏、高野山、熊野で鯨を見て、大阪神戸、須磨明石、阿波の鳴門から讃岐の金比羅安芸の宮島、下関から長崎へ行き、せっかくだから沖縄へ、ここで出直すのも億劫なので、上海からシンガポール、そうなると西洋に行かないのは失礼だから、ちょいと脇へ入ってロンドンで女王に会って、近道でも探してウラジオストックへ戻り、函館五稜郭で氷水でも飲み、汽車で上野へ戻りましょう……ああ、くたびれた」
旦那が驚いて、
「帯一つでそんなことをされたらロンドンどころかルンペンだ、芝居か帯かどちらかにしろ」
と厳命。奥方が迷っていると、幇間の桜川呑孝が現れ、歌舞伎座の団菊顔合わせの「加賀見山」が素晴らしいと熱演してみせる。奥方はうっとりとして、
「まあ、本当に芝居を見ているようだよ」
「おっと、それじゃあ、帯もいらないな」
【成立】
桂文治(6)の創作か。明治30年(1897)頃の速記である。従って団菊とは市川団十郎(9)9(1838~1903)と尾上菊五郎(6)(1844~1903)ということになる。文治の後演じ手がないが、前半は現代でも十分分かるので、芝居の部分を手直しすれば演じる価値はあるものと思う……演らないかな。「藪入り」に子供を連れて行くってのもあるし、似たようなのは他にもありそう。
【蘊蓄】
「加賀見山」こと「加賀見山旧錦絵(かがみやまこきょうのにしきえ)」は天明3(1783)年4月森田座初演。兄弾正と結託して主家横領を企む局、岩藤が、陰謀を知った中老尾上に家宝を盗んだ罪を押しつけて自害に追いやり、尾上付の腰元お初が岩藤を討ち取ってお家安泰を得るという筋。登場人物が女ばかりなので「女忠臣蔵」と呼ばれ、女性客の人気を得た。