【粗筋】
父親に遠ざけられた酒井雅楽頭(うたのかみ)の末子・角三郎、肩が凝ったので呼んだ錦木という按摩、療治もうまいが話も上手でお気に入りになった。錦木が角三郎の骨組みは大名になる骨組みだと言うので、もしそうなったら錦木を検校にしてやると約束をした。
この錦木が病気で伏せている間に雅楽頭が急死、病身の兄に代わって角三郎が雅楽頭を継いだ。病の癒えた錦木は角三郎の出世を聞いて屋敷を訪ね、約束通り検校の位を受ける。
さて出世した錦木は折を見て雅楽頭を訪ねていたが、ある日行くと雅楽頭が栗毛の馬を手に入れ、三味線と名付けたという。
「馬は駒である。乗らない時は引(弾)く。止めるときはどう(胴)どうだ」
「しかし、名馬に三味線というのはいかがなものかと」
「分からぬか。わし、雅楽頭、うた(歌)が乗るから三味線だ」
「おそれいりました。で、我々が乗りましたら」
「その方らが乗ると、バチが当たる」
【成立】
講釈ネタか。「錦木」とも。書物には最後の落ちしか出ていないのだが、その前に三味線尽くしがあったはずだと思っていた。2004年11月3日、古今亭菊之丞独演会の後、確認させていただいた。
【一言】
按摩さんの名前といえば、杢の市とかテクの市とかをつねとするが、この人だけは小僧時分からその例外である。しかも貧弱な裏店住居のもみ療治だというのに、錦木とはまた恐ろしく立派な名をつけたものだが、この盲人、生まれながら大名の位にも出世すべき体相を持っていたとある。果して同じ体相仲間の酒井角三郎さんに愛せられ、この若殿が雅楽頭となるやその引き立てにより、一躍検校に昇進、「三味線栗毛」の御意見を申しあげる程の身分となる。(野村無名庵)
● 大名の不遇な子息が幸運にも跡目を継ぐことになり、贔屓だった按摩も検校に出世するのですが、先代のは盲人のひがみを強調する演出なんです。そこをぼくはがらりと変えて、不運にもめげない殿様の息子のほうに重点を置いたんです。(三遊亭円歌:昔聞いたのがそのひがみを訴えるものだったようで、聞いていて暗い雰囲気になってしまったのが記憶に残っている。
菊之丞の演出では、病気回復をした錦木が角三郎出世を聞いてお屋敷を訪ねる。
「約束通り検校の位をもらいに来たか」
「そのつもりでしたが、殿とお会いしたらどうでもよくなりました」
「正直な奴……これ、千両を用意して京都へ使わせ」
【蘊蓄】
盲人が按摩、琴、三味線、琵琶などの商売をするには、総録から官位を受けなければならなかった。身分は下級から衆分、座頭、勾当、検校とあり、それぞれの中でもいくつかの階層があった。検校は、金千両を総録から公家の久我家を経て朝廷に収めれば、誰でも取得できたが、この金はほとんどが、総録・京の総検校、久我家の所得となった。