【粗筋】
大阪から明石へ行った飛脚が、近道をしようと、
「本街道は回り道、田んぼを抜け、畦道越えて、近道近道どっこいさのサ(♪鳴物「韋駄天」が入る)」
途中で便意をもよおしたので、百姓家の便所を借りたが、しゃがんだ途端に懐の弁当を落としてしまった。
「あ、近道しよった」
【成立】
上方噺。「明石飛脚」から「この飛脚が」と続いて、「うわばみ飛脚」へ続けるのが一般的だそうだ。
【蘊蓄】
飛脚を十七屋といった。これは十七夜を「立待月」と称したことから、「たちまちつき(忽ち着き)」という洒落。
京阪と江戸を往復するのを「三度飛脚」というが、月に三度行き来したことかららしい。往復1月の安価なものから往復10日というもの、更に早い6日というものもあったと『守貞漫稿』に記されているが、早い便も2、3日は遅れるのが常だったという。4日で着く特別に早いものがあったが、値段は4両と記されている。
市中を専門にするのを「町飛脚」といったが、江戸では、『俗事百工起源』に「町飛脚のはじまりは文政6未年7月中」とあり、4つ(10時)に出発して江戸中に配達する「近江屋」の引札口上が載っている。葺屋町を起点に、芝金杉橋までと吉原までが32文、品川・千住・板橋・新宿・青山あたりが50文などと書かれている。
『守貞漫稿』では「便り屋」と称する者があり、嘉永年間に法を定めて便利になったと紹介されている。横2尺、縦1尺、高さ1尺余の箱に漆で名を書き、棒の先につけて肩にかつぎ、棒の前には風鈴を提げて音を立てながら走った。町飛脚よりも値段が安かったとある。