【粗筋】
蕎麦好きで俗に「そば清」と呼ばれる清兵衛、蕎麦を60杯食べるという賭を申し出られたが、自信がなくて断った。仕事で信州へ出掛けた帰り、うわばみが人を飲むのを見た。このうわばみ、腹がふくれて苦しがっていたが、岩陰の赤い草をなめると、みるみる腹が小さくなってしまう。清さん、この草を持ちかえって、蕎麦６０杯に挑戦。３０、４０は軽くクリアしたが、５０を越えるとさすがに苦しくなり、一息つくと言って障子の外へ出ると、例の草をなめた。清さんが戻らないので、さては逃げたかと障子を開けると、蕎麦が羽織を着て座っていた。
【成立】
大坂の「蛇含草」を移殖しただけだと本にあるが、、別々に発展した可能性がある。「蕎麦の羽織」「羽織の蕎麦」とも。なぜか、上方の資料には「そば清」という題は説明されずに、武士が蕎麦を食って「蕎麦が大小を差していた」という落ちだと説明されている。ううん、聞いたことがないなあ。それで「蕎麦の羽織」ってタイトルも変。実は、享保元（１７１６）年『軽口ちはこの玉』の「牡丹餅が大小」を蕎麦に代えただけの解説で、実際に演じられたのかも疑問。
【一言】
大食漢（グウルモン）というものは大体に於いて無邪気である。それだけ微妙な味を識別し得るかというよりも、ひたすら如何に多くの量を食べ得たかということに、誇りを感じる。「いやどうもオツでげす」なんて斜に構えたりはしない。辰野隆博士が「私は食通ではない。大食漢である」というようなことを仰しゃったのも、まことに通人の一家言であって、本来の“食通”は自ら通人だなどとはいわないものである。うまいものはどんどん食べ、まずいものは見向きもしない。そういう観点からすれば、清兵衛さんは大食漢の名に恥じない人物である。ただ少しばかり利巧すぎて、蛇含草などという怪しげなクスリに、頼っちまったのが不運であった。しかし大好きなおそばに、自分の着ていた羽織を遺したのだから、清兵衛さんも以て瞑すべしであろう。（西川清之）
● さらりといた考え落ちなんで、余計な説明はしたくないんですが、このままではわかりにくいこともたしかなんで、私は、「人間の溶ける草を、腹の減る薬だと間違えて、こいつをなめたから、清兵衛さんが溶けて、お蕎麦が羽織を着て坐ってました」と演っています。（三遊亭小円朝）
【蘊蓄】
ハミとは蛇のことで、うわばみは「蟒」と書いて巨大な蛇の俗称。水辺に棲むのがうわばみといって、他の蛇と区別されているという説もあるが、日本には青大将以外に大きな蛇はいないので、うわばみ伝説は南方渡来のものと思われる。
尚、蕎麦を食う数について、原田信男著『江戸の料理史』によれば、文化１７（１８１７）年３月２３日、柳橋の万屋八郎兵衛方で行われた会で、池の端の山口屋吉兵衛（３８歳）が６３杯、新吉原の桐屋惣左衛門（４２歳）が５７杯、浅草の鍵屋長助（４５歳）が４９杯、神田の肴屋新八（２８歳）４３杯と記録されている。
根岸鎮衛著『耳嚢』巻二には、「そばを解かす奇法の事」と題して、荒布（あらめ＝海草の一種）が蕎麦を溶かす妙薬であると伝えているが、真実であるかどうかは分からない。
