【粗筋】
芸者小糸に夢中の若旦那が勘当になりかけるが、番頭のとりなしで百日の間蔵に閉じ込められる。小糸からは毎日のように手紙が届くが、八十日目でぷつりと途絶える。百日目がたって蔵から出た若旦那が置屋を訪ねると、小糸は若旦那が来なくなってから病気になり、手紙に返事も来ないので捨てられたと思い込んで焦がれ死にをしたという。若旦那が仏壇に手を合わせると、三味線で地唄の「ゆき」が聞こえてくる。若旦那が蔵に入れられる前に、小糸のために注文した三味線である。小糸の霊が弾いているのだと涙にくれていると、ふと三味線の音がとぎれた。
「若旦那……なんぼ言うても、もう小糸、三味線弾けしまへん。お仏壇の線香が、ちょうどたちきりました」
【成立】
1806(文化3)年刊行の『江戸嬉笑』の「反魂香」。幽霊が現れて応対し、しみじみとした話はないまま「閻魔の迎えが来たようだから、はい、さようなら」と帰って行く。「おい、ちょっと待て」と言うと、幽魂ちょっと振り返り「線香がもう立ちやした」
京都の松富久亭松竹の作ともいわれる。「たちぎれ」「たちぎれ線香」「線香の立切れ」とも。
東京へは柳家小さん(3)が移植したが、三笑亭可楽の演じたものが人気を得たという。線香1本いくらという計算を聞いて芸者屋の女中が線香を持ち逃げするという、「千両蜜柑」を改作したような小噺を仕込みとしていた。
可楽は三味線に「黒髪」を用い、とぎれる場面をぷつっと糸が切れるように弾き終えるよう演奏させていた。菊之丞もこれを用いている。小三治も「黒髪」を用いているが、消え入るように弾き終わるように改定している。この途切れ方をやったのは上方の桂米朝の方が早い。尚、上方の落語の本では東京では端唄「流しの枝」を使うと書かれているが、聞いたことはない。上方では「雪」を使うそうだ。ゴメン、全部聞いたことがあるのに、こういう曲名が分からない。
東京でも先に紹介した「東京版」よりも、この原作の方が多く演じられている。ただし、鳴り物なしで演じる場合も多い。この噺に限っては、三味線をぜひ入れてもらいたいところ。
【一言】
この噺の前半の主役は番頭である。親族会議のまっただ仲へ飛び込んで来た若旦那を、言葉はていねいに、それでいて厳しく叱りつけるところなど、演者の貫祿がものを言う場面である。(中略)米朝も、このネタの難しさのポイントは敬語の使い方にあると言っている。
「(番頭が)あくまで礼を失せずに理詰めに(若旦那を)圧倒するのでなくてはなりません」(「米朝落語全集」第4巻)
この噺、ストーリーがよくできているので、ついつい筋のはこびだけに気をとられがちなのだが、演者がわとしてはこういうところにも気を配っていなくてはならないのだ。また、そこまで気がいきとどいてこそ「大ネタ」と呼ぶ値打ちがあるのだ。(中略)
若旦那が蔵へ入った翌日から小糸からの手紙が届きはじめる。初日は一通、二日目は二通、三日目が四通と倍増しに手紙の数が増えて行くのであるが、その手紙も八十日目にぴたりと途絶えてしまう。その時に番頭は肩をゆすって「三文がん」……つまり「三文ぶん」ほど笑うのである。そして
「色町の恋は八十日か」
という番頭の心の台詞をつぶやいた後、なんの説明もなくポーンと二十日の時間をとばしてしまって
「若旦那、おはようございます」
と百日目の朝にしてしまう演出は溜飲の下がる思いがする。多くの演者によって洗練に洗練を重ねられていく段階で完成したみごとな演出である。(また中略)
そして、その後に仏壇から流れてくる地唄の『雪』。浮世を捨てて尼になった南地の芸妓が、昔の恋人を忘れかねる心情を述べた唄である。みごとな道具だてで聞き手を涙の世界へ案内していくのだ。
この『雪』であるが、おしまいとピンとはじくように弾いて止めるのが一般の型だが、八五年ごろから米朝はスッと消えるように「雪」を止めている。
「線香が消えるように三味線も消える」
という理屈だ。
米朝の『たちきれ線香』というと、以前から十八物としての定評があった。そのネタでも、常に動いているのを知り、またしても勘当した。(小佐田貞夫)
● うちの師匠の『たちきれ』をはじめて聞かせてもろた時も感激しましてね。この噺は大阪落語の大物中の大物で、若旦那と芸妓の純愛をテーマにした噺なんですけど、私はこの『たちきれ』一席が、他のすべての落語を合わせたものとつりあうとまで思いましたからな。師匠に「もし私が『噺をやめる』言いだしたら、『落語には“たちきれ”があんねんぞ』と言うてください。きっと帰って来ますから」とマジで言うたこともあります。(桂枝雀(2))
【蘊蓄】
明治村に、芸者の線香台が陳列され、「Time REcorder for Geisha」と英文の説明がある。