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晴れると良いのですが…。恥ずかしいことにここを見るまで,イイオカスワローがトウケイニセイの半姉だったと気がついていなかった(涙)イイオカスワローは、ずっと、コリムプリンスのレース中の外傷による大敗と秋田騎手の好騎乗で大差の逃げ切り勝ちをしたこの年の紅一点だったと思い込んでいました。血統的にもエースツバキの仔と走る背景があったんですね。ひきつけて先頭で直線に入ったイイオカスワロー・秋田実大差で優勝のイイオカスワロー優勝イイオカスワロー父スイフトスワロー母エースツバキ<Reform》騎手秋田実調教師中澤文男、馬主瀬川良成、生産者浦河田中堅一今や、場内でトークショーを開くほど雄弁となっているが、現役時代には、余計なことは一切語らない騎手出した
2010年09月21日
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全休日だったのですが、戸塚記念ハーミアの写真を渡しに行った松田厩務員が、ちょうど当番で、厩舎にで仕事をしていたので、渡すことが出来ました。と戸塚記念の話をしていたら、「馬見る」と言ってくれたので…ハーミアです能力試験合格で、新馬戦に出走予定の二頭能力試験〇セイントカロンハーミーアのの下でブラックタキシード産駒ベアトリス
2010年09月19日
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いつもお世話になっている大牟田のタウン誌「月刊みれにあむ」から嬉しいメールが届きました> 先日(17日)荒尾競馬で、偶然にも大井の石川駿介騎 > 手が期間限定騎乗で> 来ていました。デビュー5年の若手で、まだ20勝だ > そうです。> 10月に大井に帰るそうです。九州競馬(佐賀・荒 > 尾)で、8勝したそうです。> >がんばれのインタビューしましたよ。> >「騎乗回数も1日6~7回と多く、流れやス > ピード感覚など勉強になった」荒尾競馬場にて17日
2010年09月18日
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〇トウインクルレデイ賞坂井英光・ヒロアンジェロが三角で仕掛けて、先に先頭に立ち内から伸びたエロージュと外から伸びたフサイチミライを押さえて優勝。フサイチミライは連覇ならず。テイエムヨカドーは重賞連覇ならず
2010年09月15日
咲きました鉢にに移植して三年。今年の猛暑で咲いたのか
2010年09月14日
第三十九回戸塚記念ビクトリースガの捲くりに乗ったハーミアが快勝荒山厩舎所属のハーミア、松田厩務員は、ダービー馬グレードショウリを担当していた方
枠服時代の写真が載っていて懐かしい
2010年09月13日
平松現調教師や寺嶋調教師、など、懐かしい顔が…。
2010年09月12日
いつも見ているブログ ここにサンオーイのことが書かれていたので、「セレブが可哀相」という東京ダービーの観戦記を書いたことを思い出したので、書き込みます---------------------- ☆駆け引きは戦い(昭和58年東京ダービー) 昭和58年のクラシックレースは 結果的には好敵手セレブレイションを圧倒した形だが、その影には策士赤間清松と名人佐々木竹見との騎乗馬を知り抜いた神経戦があったのだ。羽田盃で三角すぎで先頭に立ち逃げ込みを図った佐々木竹見=セレブレイションだったが直線で豪脚を繰り出した赤間=サンオーイに交わされ4馬身差の2着に終わっただけに竹見騎手がどう騎乗するのかも興味の的だった。レースは先行脚質の馬が順当に前を進みスローで流れて行った。スタンド前でセレブレイションはいつのまにか3番手に上がっていた。サンオーイの方はじっくり中団の後ろにいた。「ゆっくりした流れだったので三角あたりで後方の馬がどっと来るのが嫌だったので…」という佐々木竹見騎手のセレブレイションが向う正面で一気に前を行くダイシュンエイなどを交わして先頭に立つ。方やサンオーイは「佐々木君の気性から”早めに行くだろう”と思っていたし、長距離は計算が立つ」の赤間清松騎手の言葉どおりゆったりと構えていた。先頭に立ったセレブレイションは先行した馬たちが脚を無くすのに反し余力十分で差を広げて行った。そこに内を突いて追ってきたのがサンオーイ2番手に上がって四コーナーを回る。直線セレブレイションとサンオーイの差はかなりあった。「自分の馬の手応えに慌てませんでした」という赤間清松騎手。馬を内から外に出して追い上げる。ゴールまで残り200メートルのハロン棒の手前でサンオーイがセレブレイションに並び掛ける。佐々木竹見の秘術とセレブレイションの抵抗も此処までだった。サンオーイが一気に抜け出すとぐんぐんと加速、見る間に差は開いていきゴールでは実に7馬身。最後は控える余裕もあったのだから「そんなにまで叩きのめさなくてもいいんじゃ!」と見ていた筆者は思った。後日、赤間騎手が雑誌で、このとき多分地方では初めてでしょうガッツポーズしてゴールしたんですよ」と語っていたが、当方には、その記憶はありません
2010年09月11日
名人田中道夫現調教師がいます。寺嶋正勝現調教師もいます
謝明方調教師の名もあります
2010年09月10日
ハッタダイドウで大井遠征した石川昇騎手や牝馬の稲田彰宏騎手《自分のイメージ)などが載っていてとても懐かしいです
昭和56年表紙です
2010年09月09日
8日に達成。区切りの勝利クイズとしては1番が山口勲騎手でしたので一番人気?木村健騎手は二番となりますNARの頁
書棚から古い本を出して読む「馬券戦法」という本で著者は専門紙”競友”社長でNHK解説者だった小畑昌男氏<昭和三十八年八月発行>かれこれ50年ほど前の本著者のあとがきに【この本は昨今の(当時)競馬書のように一攫千金の夢を託す人たちを目当てに書かれた本ではありません】とあるように馬券本ではない。地方競馬についても書かれていて面白い資料が会ったので、書いておきます。☆38年1月1日から3月5日までの地方競馬成績表一位荒山徳一(大井・森田)255戦41勝2着42回、3着25回二位松浦備 (大井・小暮)278戦39勝2着35回、3着41回三位佐々木竹見(川崎・下山)268戦34勝2着43回、3着33回四位宮下哲朗(船橋・宮下公)193戦34勝2着43回、3着25回五位赤間清松(大井・小暮)157戦25勝2着24回、3着20回六位加藤徳明(川崎・鈴木定)205戦22勝2着22回、3着23回七位佐々木吉郷(川崎・鈴木定)161戦21勝2着19回、3着12回八位竹山隆(大井・田中利)136戦21勝2着16回。3着14回九位須田茂(大井・田中利)126戦20勝2着15回、3着25回十位朝倉文四郎(大井・森田)141戦20勝2着11回、3着16回ーーーーーーーーーーーーーーーーー十一位永田旭(川崎・八木)157戦18勝2着26回、3着22回十二位鈴木富士雄(大井・森田)87戦18勝2着5回、3着13回十三位木村和男(船橋・木村)74勝2着17回、3着10回十四位大和田明(川崎・長谷川蓮)134戦14勝2着18回、3着14回十五位佐々木国広(川崎・井上)89戦14勝2着12回、3着6回十六位赤沼武雄(浦和・横山)84戦12勝2着11回、3着12回十七位高柳恒男(大井・安藤)68戦12勝2着10回、3着3回十八位勝又衛(川崎・小笠原)100戦11勝2着12回、3着9回十九位溝辺正(船橋・三間)41戦11勝2着3回、3着7回二十位藤田安弘(大井・小暮)135戦10勝2着14回、3着14回*佐々木竹見騎手の所属が、下山となっていますが、違うはずです。青野厩舎から一時的にも移籍したことはないと思います。青野先生と下山先生、確か同い年だったとは思いますが…。小畑氏ほどの方でも地方競馬に関して、この程度の認識だったようです。決定的に、違っている記事がこれ!-----------昭和37年地方競馬が、中央競馬の売り上げを超えている。このようにブームを起こしている地方競馬であれば、騎手の収入も中央競馬の騎手より上回るのは当然。M騎手の月給は二十万円といwれています。中央のベテラン騎手の3,4万円と比較したら、平社員と重役級の違いがあります。事実、中央の騎手たちの大半は府中や中山の厩舎内で寝起きしていますが、地方の騎手になるとほとんどが自家用車で大井、川崎、船橋、浦和へ通勤しています。事実誤認です!小畑氏ほどの方でも地方競馬に関して、この程度の認識だったようです。
2010年09月06日
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といえば萩の月なんてことではなく福永二三雄調教師と月村泰男氏とイナリワンを思い出します第一回(平成六年)この年から重賞に格上げになった第一回の優勝馬が10戦無敗で挑戦した月村氏の持ち馬で福永二三雄調教師管理のツキノイチバン(父はミルジョージ)だったつきのイチバンの左側、月村氏、その横が福永二三雄調教師第二回(平成七年)51キロのツキフクオ(父イナリワン)ーが差し切り優勝。馬主の月村泰男氏と福永二三雄調教師の連覇。イナリワン産駒の初重賞制覇このドラマを演出したのが、主戦ジョッキーの騎乗停止で急遽乗り替わった名手森下博騎手のテン乗り優勝だった
2010年09月01日
九州産馬NO1決定戦であるJRA交流「霧島賞」霧島賞優勝馬テイエムヨカドーと森泰斗騎手[右回りが下手な馬で、道中かかってしまいましたが上手く走ってくれました」森泰斗騎手は1998年に宇都宮競馬場でデビュー(所属は足利競馬場、佐藤和伸厩舎)2000年に一旦騎手免許を返上するも、2001年に佐藤和伸厩舎の厩務員を経て足利競馬場で再デビューしたのに2003年に足利競馬場の廃止に伴い、宇都宮競馬場に移籍。さらに2005年に宇都宮競馬場の廃止に伴い、同年に船橋競馬場に移籍し船橋競馬場で再デビューしている。北関東時代の成績は3451戦265勝。2002には 地方通算100勝を達成 2003には JRAでの初騎乗 をしている2010には 地方通算500勝達成北関東競馬廃止の被害者の筆頭といえる騎手履歴です。それだけにこれからの活躍を期待したいと思います大川充夫アナウサーのブログです写真は大牟田のタウン誌「月刊みれにあむ」から頂きました!
2010年08月28日
兵庫の木村健騎手が17日に1勝。あと五勝とした佐賀の山口勲騎手も18日4勝の固め打ち
2010年08月18日
寄ってきました今年も健在でしたハイセイコー食堂の店名についてご主人にお尋ねしてみたところ…何の屈託もなく「競馬が好きだからさ!!」との答えでした。その言葉を裏付けるように、店内には、オグリキャップや馬の絵馬などが飾られています
2010年08月17日
重賞競走があれば、どこにでも車で行ってしまうK記者。大井・船橋・川崎・浦和の南関東四場はもとより、高崎・宇都宮・足利の北関東。東北3場、岩手(盛岡・水沢)・山形(上山)・新潟(新潟・三条)などにも。当然北だけではなく名古屋・笠松と言った東海も。北陸金沢・新潟にも。これらの証が如実に現われているのがK記者のクルマの走行距離である。 先ず、最初が大井に帰るので厩務員が免許とった祝いにくれたハコスカでもらってから6万キロ乗った。次が会社から支給された新スカイライン。これが120000キロで3台目自前のバネットセレナが250000キロ。4台目のパジェロが245000キロ。トータルすると575000キロ。これは地球を何周なんだろうか?ちなみに小林←→大井は約120キロだ。大井競馬の開催日数だけ走っている(これに各開催ごとに3~4日プラス)。 それゆえ、3年目で買い替えるために下取りに出すのだが、外見は綺麗だが、走行距離が凄いK記者のクルマは何処に行っても、『買ってもらえません!』。 これだけ走っているK記者だけにお役立ち情報もある。先ずは気に入っているドライブコースを。上山から楢下宿を抜け福島に抜ける道。楢下宿には「こんやく番所』という名店もある。この道、峠を越えた辺りの路肩には山菜が群生している。一番気に入っているコースは新潟から村上を通り小国峠越えの道でドライブに最高。途中には温泉もある。 高崎の群馬記念はGW中にあるので車では大変だが、K記者は関越の大渋滞をよそに普段と変わらぬ時間で自宅まで戻っていた。この抜道にも馴染みの店が多くできたK記者だった。館林~古河に抜ける道には意外なものが…。板倉の手前にある「雷電神社」の境内にある食堂の天ぷら定食の天ぷらは<鯰>である。車で移動するとおいしいものにありつけるし隠れた銘泉も見つけられる。時間と体力がある人は車でゴー! しかし、下取りしてもらえないクルマ、中古車屋でも買ってもらえない車は困ると痛感しているK記者でした。
2010年08月09日
7月15日無事終わる8,98,10レースの馬複配当金の10円台の数字と前もって渡したトランプが一致した方たちへの、グッズプレゼント抽選会には、その日にもらってきたJDDダービー優勝騎手戸崎圭太騎手のサイン色紙とJDD当日のレープロ、ハロン数冊、うまたせ君人形、フジノウエーブ東京盃ゴール写真などを的中者がゲット。来場者全員にTCKより「うまたせボールペン」と「わたせせいぞうクリアリーフ】がプレゼントされました。
2010年07月16日
第二十五回報知グランプリカップ昭和49年に魔女イナリトウザイが、東京盃でサラブレッドを蹴散らして以来15年ぶりの快挙ヨシノスカレーゴール前の競り合いから抜け出させた豪腕桑島孝春騎手
2010年07月11日
☆イーグルジャムイーグルジャム、平成元年東海大賞典(笠松)イーグルジャム父ミルジョージ騎手安藤勝己、調教師吉田秋好
ー二冠馬ソウルシャトー第二十五回東京ダービー(昭和54年)ソウルシャトー父トンピオン騎手赤間清松、調教師竹内美喜男このレースに騎乗していた現役騎手がいる。ハクトウザンで2着だった石崎隆之騎手とシーイーグルという日刊競馬の馬で13着だった的場文男騎手だ。
こちらのブログにオグリキャップの話題とともに取り上げられていたイーグルワンの産駒たちを☆最も身近にいた馬。です第二十四回報知グランプリカップ(昭和63年)優勝したイーグルシャトー(白帽・堀千亜樹)小林分厩舎の大山二三夫厩舎所属馬ということで、デビュー前から見ていた馬です。中央競馬移籍後、無理使いされた挙句、殺されてしまった!名牝イーグルワンの血が途絶えてしまった!!!!!イーグルシャトーの産駒が見たかった!
笠松競馬からJRAに移籍し、名馬スピードシンボリに続き有馬記念二勝を記録した葦毛の怪物と言われたオグリキャップが、3日死亡した(25歳であった)★自分は、笠松で八連勝していた当時は、注目していた馬であり、大好きな馬であった。が中央入り後、「大嫌いな馬」となった。ただ、オグリキャップ自身が嫌いなわけではなく、「250万の安馬が!雑草が!JRA勢のエリートを倒す」と言うスタンスで報道するマスコミや騒ぐファンが大嫌いなだけだった。と思う。死亡してまでも、「笠松から中央エリート馬をなぎ倒し…」と書くな! 合掌
2010年07月04日
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遠くでセレモニー
2010年07月01日
もっとちゃんと撮影したかったのに…恐いんです馬が””
Lウイングを大井競馬場じゃあないと思っているので、やはりこのスタンドでしょう?★違和感の部屋企業向け特別観覧室?一部屋、年間60万で使い放題らしい?
5年ぶり以上に食べれたご馳走半ラーメンです。=========大満足!!以前は、これの並盛とチャーシューとおにぎり3個だった。今は、これで十分
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うまたせくんとうまたせーぬ(いつも踊っていた)
帝王賞に行く事が出来ました。何年ぶりだろう?判らないくらい久し振り7レースフレンドヒデコ・横川怜央騎手の本馬場入場第四レースイルミネーション
フリオーソ・戸崎圭太優勝二番手から見事な抜け出しボンネビルレコード的場文男騎手6000勝表彰
2010年06月30日
地方馬の応援です。
[「げげげの女房」で貸し本屋の息子が競馬に行くときに机の下に隠して見ていた専門紙がこれです横30センチ弱、縦40センチ弱のタブロイド版4ページです。5月1日の同番組中に初めて登場した。場面は、やはり、貸し本屋の息子が競馬に行くといって店を飛び出したときに手に持っていた。このときに、確かめたのですが、日刊競馬が資料を提供して、NHKが作成した小道具だと言うことでした、昭和40年から読み続けていた競馬新聞ですので、すぐにわかりました。*2レースの一番シンオウは、翌41年高柳恒男騎手でダービー馬となります。
2010年06月28日
福元弘二元高崎競馬元騎手福山競馬でコンサートを開催するそうです。福山のオフィシャル競馬頁
2010年06月25日
コメント(7)
☆的場文男騎手6000勝達成のレースです6月4日(金)大井競馬第6競走(C3・1400m <>写真提供TCK
2010年06月24日
黒船賞リバーセキトバだったと思います
2010年06月17日
ミスエルスナーと言います昭和61年第四回紀三井寺競馬四日目第九レース「サラ系A級特別平地」1着賞金330000円です父アローエクスプレス母オロマツホース牝六歳騎手甲田守、調教師入江繁一
2010年06月15日
少数精鋭なら…豪華メンバーです☆昭和55年「黒潮盃」です。一枠のタカフジミノルはこの年羽田盃、ダービーを制覇し二冠馬となる雲取賞優勝の遅れてきた大物二枠タガワテツオーは、名牝コーホールの仔青雲賞馬(ステーブコーゼン騎乗)三枠ヒカリデユールはご存知、のちの有馬記念馬五枠スーパーヤマトは名牝オロマツホースの仔*タガワテツオーとスーパーヤマトはともに前走では、それぞれ古馬相手のオープン特別を快勝している。当日の日刊競馬新聞一面の上右半分実物は、カラーです。セッチング間違いで白黒になってしまいました
最初見たときには、御神本騎手かと思いましたが?騎乗フォームなどから吉井竜一騎手と判断しました <エリート情報2010 6・12 1160号より> 作者の方エリート情報ともに転載許可を頂いております
2010年06月14日
桑島騎手の引退式の日に特観席のイベントコーナーでやっていたものです「秋田家の馬券会議」?だったともいます。トークショーでしたが、秋田実元騎手の持ち味全開でした。親子だと思っていましたので、秋田さんって随分別嬪さんの娘さんが二人もいたのだ…?とチラシにも長女記者、次女アナウサーとあったし全員が秋田牲このファンの方もコア。秋田騎手の勝負服を持参してサインをしてもらっていた
2010年06月13日
成績書の推移ですいまや!紙からデジ?多いだけでなく船橋までも
2010年06月12日
配られた桑島孝春騎手アニバーサリー・ポストカードです。桑島騎手の重賞レース写真が時代順に一組五枚となったポストカードです
2010年06月11日
2010年06月10日
内田博幸騎手も駆けつけた
大川アナの経歴紹介に思わず
恩師高松元調教師も駆けつけて花束を。一番手前が、お孫さんとお嫁さん。このお孫さんがカメラマン達の一番人気でした!
奥様から花束贈呈後、一言に聞き入る桑島騎手