桑島孝春写真館13ホクトライデン
◎ホクトライデン(船橋)昭和49年11月船橋競馬のアラブ3歳新馬戦を7馬身差で圧勝してから4歳2月のブルーバードカップまで、ポンと出ては、楽勝の連続で4連勝を飾る。ところが、大井の重賞「八王子記念」で痛恨の出遅れ! 直線よく伸びたもののバビロニアンをハナ差捕らえきれず2着で連勝もストップ。このとき騎乗していた江湖騎手は、失礼ながら「何であんな名馬になれる馬にいつまで乗せておくんだろう?」と話題になるくらいの騎手であった。「これで乗り替わりだな」の声が圧倒的な中、3冠最初のレース「千鳥賞」では、佐々木竹見騎手が騎乗。好位からの競馬(逃げられず心配された)できっちりと、クビ・ハナの接戦を制して単なる逃げ馬でないことを強くアピールする。 此処で陣営は、矛先を園田の「全日本アラブ優駿・楠賞」に向けると、当時、若手のホープであった桑島孝春騎手を鞍上に配して、勇躍乗り込んでいった。そこでも、アラブのメッカと言われる地区の強豪たちを問題にせず2着エルフォードに5馬身差をあの短い直線だけでつける怪物振りを披露。取って返し、アラブダービーを今度は、佐々木竹見騎手であっさりと勝ってバビロニアンに雪辱を晴らす。真夏の祭典「鎌倉記念」では、桑島騎手で一転、逃げ戦法に出てあっさりと逃げ切り勝ち。秋の「アラブ王冠賞」。同世代にもはや敵はなく当然のように3冠を達成する。全日本アラブ大賞典の前のひと叩きに陣営が選んだのは、古馬の強豪が集まる川崎の「アラブチャンピオン」だった。此処で、ホクトライデンは4歳秋にして古馬相手にトップハンデの65キロを課せられたのだ。4角で一旦は先頭に立ったものの、ダイロクミネフジ(58キロ)に交わされ2馬身差の2着。それでも、ウメノタイヨウ・ユワブチキングと言ったアラブの強豪を抑えたことは、4歳秋や斤量を考えると立派であり、怪物の証である。 迎えた全日本アラブ大賞典では、「この年サラブレッド相手に2勝しているスマノダイドウとの一騎打ち」が前評判であった。確かに結果もこの2頭の1、2着であったが、内容的には2着だったスマノダイドウの佐々木竹見騎手の「こんなものでしょう」と勝った桑島騎手の「楽でしたよ!」の言葉が表すとおりホクトライデンの圧勝であった。スマノダイドウを楽に捕らえにかかるホクトライデン・桑島孝春 年が明けると新春盃で、サラブレッドに挑戦する。トップハンデの59キロもものともせず、好スタートから逃げると一度もサラブレッドにハナを譲ることなくヒシマサツヨシ(50)スコールキング(52)チュウオキャプテン(55)という軽ハンデのサラブレッドを全く寄せ付けずに逃げ切ってしまった。続く「こととい特別」では、遂に、サラブレッド相手に60キロを課せられたが、中団から、重ハンデを感じさせぬ鋭い伸びを見せ勝った55キロのチュウオキャプテンのアタマ差2着となり残り14頭のサラブレッドはよせつけなかった。 これで、ホクトライデンの怪物ぶりは、大いに鳴り響いた。いろいろなサラ挑戦計画が話し合われ、中央競馬のオールカマーも視野にあったという。しかし、陣営が選んだのは、3月1日第21回銀盃だった。このときの斤量が、伝説の72キロである。2番目に重かったのがユワブチキングの57キロなのだから、いかにとんでもない斤量であったかわかるはず。自分は、長い間、競馬を見てきたが、実際に70キロ以上背負った馬を見たのはこの馬が初めてだった。 中央競馬でも、国営時代、タマツバキが83キロで勝っている。サラブレッドでもミツハタが目黒記念で73キロでレコード勝ちしている。ハタカゼが75キロでサーSを勝っているというような事実は知ってはいたが。 ミツハタの目黒記念で、騎乗した渡邊正人氏に伺ったところ、「馬にまたがった瞬間、ミシっと骨が軋む音がした。直線で、さあ追い出そうとしたら、自分の背負っている鉛が重くて、馬上でバランスがとれず、落ちそうになって、つかまっているのが精一杯だった。だから、このとき勝ったのは、正に馬だけの力です。人間は、落ちないようにしていただけだから」と回顧してくれた。 この銀盃で田部騎手はというと騎手の宿命ともいえる「食事制限・減量」ならぬ「食事無制限・増量」で前日にステーキやご飯をたらふく食べレースに臨んだが、元来が、軽いので、増えても知れたもので、結局、田部騎手は鉛7キロをベストに入れ騎乗した。馬は、最も重い鞍プラス鉛で11キロをつけることに。「馬にまたがった瞬間、馬が沈んだ感じがした」。 やや重の発表ではあったがそこら中に水溜りがある悪馬場であった。極量のため、何時もの素軽い動きには程遠く後方からの競馬となった。その為、前の馬が飛ばす泥水をいやと言うほど被ってしまい後検量では80キロ近かったと言う。さすがの怪物も、これには完敗! 生涯初の12着と大敗。田部騎手の「重かった!」の一言が全てだろう。負けはしたが、昭和51年に72キロを背負って出走したことに拍手を送りたい! ホクトライデンを、怪物を知ってもらえれば……。 怪物の最後のレースとなったのは、銀盃の1ヵ月後、サラのオープン特別「卯月賞」。ここでも、ホクトライデンは60キロを課せられ好位のまま5着に終わるが、1~4着までのサラの馬名と斤量を書いておくと1着ヒシマサツヨシ(50)2着ヒトミパール(51)3着スピードタマナー(51)4着ケンセダン(57)。これを見れば、改めてホクトライデンの怪物ぶりが、偲ばれることだろう。