カテゴリ:ヒストリー
今から470年位前の越後国(新潟県)に義を重んじる名将がいた。
その名は上杉謙信。戦国最強と言われた甲斐の武田信玄と五度も川中島で戦った。越後に生まれた長尾景虎(上杉謙信)は兄の後を継ぎ越後を統一する。そんな時、北信濃(長野県北部)を追われた村上義清と小笠原長時は景虎に助けを求めた。これが川中島の戦いの始まりである。謙信は生涯、毘沙門天を信仰して義を重んじ、困ってるものは助けた。今度は関東管領の上杉憲政が領国を北条氏康に追われて越後に落ち延びた。景虎は関東に出兵して上杉の名跡を継いだ。そして武田信玄との四度めの戦いは激戦となった。謙信は自ら信玄の陣に一騎打ちをした伝説がある。越相同盟が成立すると、武田信玄は孤立化し、海からの恵みの「塩」を止められた。すると謙信は信玄に塩を贈った。「敵に塩を贈る」とある。 いくら敵対する相手でも困ってるときは助ける。これが謙信の方針である。それからしばらくすると信玄が死去したとの情報が入ると謙信は朝食の粥を吐き出し、おいおい泣いたという。「あぁ、よき我が敵を失えり」と。謙信は晩年織田信長と手取川で戦う。しかし上洛の夢かなわず49歳でこの世を去る。 今日の中総体でみなさんがんばってください。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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