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かえりみち

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2005/06/12
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カテゴリ:ヒストリー
まぁ、遺言といっても別に私が死ぬわけではありません。w
ちょっと、どうしても書きたかったんで書きます。

これは私が先祖調査をしているときに分かったことです。
「どうして私の先祖は秋田に来たのであろうか??」
これが常々の疑問でもあり生涯の私の課題でもあります。

知っている方もいるとは思いますが、私の先祖は藤原南家の末裔、工藤為憲からの血筋です。その中途には源頼朝の伊豆での監視役の伊東祐親や仇討ちで有名な曽我兄弟がいます。その後、我が先祖は南朝の後醍醐卿に仕えます。主に、畿内でひっそりと活躍していたそうです。

さて日頃からの疑問を感じることを解決する、キーポイントとなる時代は戦国時代です。
この時代の私の先祖の動向は定かではありません。(系譜焼失により
が、畿内を中心にしていた先祖が関東を中心に活動しています。さらには奥州へと落ち延びてくる先祖もいました。
時代的には戦国末期。豊臣秀吉の小田原征伐。この時を境に先祖の動向が明らかに変わっているのです。
工藤祐脩。この時代に存在した、私の先祖の名前です。
自称で伊豆守を名乗っていることから、伊豆に居していたのではないでしょうか?
ところが小田原征伐を境に急遽「行岳(木曽御岳だろうか・・・・?)」という場所で暮らし始めます。さらに関ヶ原合戦の後、秋田に下向。「諏訪姓」を名乗って。

私の推測では、祐脩は関東管領上杉氏に仕えていたが、後に北条氏に仕え伊豆に住んだのではないか。更に、北条氏が滅びると木曽御岳という密教の地で隠棲したのでは。
天下分け目の関ヶ原が起こると、木曽で一世一代の賭けに出て西軍に加担。夢、破れて諏訪の姓を名乗り秋田に下向したのではないだろうか。

祐脩は帰農して、その後13代に渡って明治に至る。
祐脩の残したものは「庵木瓜」の家紋と伊東・工藤氏の末裔の証である「祐」の字だけであろう・・・・・





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Last updated  2005/06/12 08:03:05 PM
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