カテゴリ:ヒストリー
↑荒倉館跡遠望(秋田県由利本荘市矢島町坂ノ下)
荒倉館大手門より総攻撃をしていた由利十二頭連合軍の目に、 八升栗毛にまたがる騎乗姿の五郎の姿が映った・・・ 五郎はカシの棒を振りかざし縦横無尽に暴れまくった・・・ まるで死に場所を求めるかのように・・・ 由利十二頭連合軍は五郎を恐れて四散。 そして、五郎の前から敵はいなくなった・・・ その光景を確認するや否や五郎は城中に引き返した・・・ 連合軍の死者は200余名。 しかし、五郎の兵力の方もほとんどなかった。 家老、矢島三右衛門の進言を受け入れた五郎は西馬音内の養父を頼って落ち延びることにして、一首。 「津雲出て 矢島の沢を眺むれば 木在杉沢 小夜の中山」 ついに大井五郎は腹を決めた。 舅の西馬音内茂道は婿と共に死のうとしたが、 五郎は押しとどめたのである。 1592年(文禄二年)12月18日。大井五郎は自害した。 五郎の死とともに、茂道の疑念は晴れた。 「由利物語(後編)より」 大井五郎の魂は永遠に刻まれる。 もっと別の生き方があったにしろ・・・・。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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