カテゴリ:ヒストリー
歯車つけておりのぼり 仕掛は外にたぐいなし・・・♪ 「鉄道唱歌・北陸編より」 「山と渓谷」の2006年2月号の「駅弁のある山旅」において特集として「峠の釜飯」があったので、私も釜飯の思い出を紹介します。 2004年3月20日、上州高崎。 私とクリ氏は秋田から東京経由の立ち乗り新幹線で高崎に降り立った。 ここで私たちは「峠の釜飯」という駅弁を購入する。 当たり前だが、釜飯というものは重い。軽い釜飯があったら、それは釜飯とは言わない。 新幹線で信州軽井沢に抜けてもよかったのだが、私は「碓氷(うすい)峠」にこだわった。上信国境、中仙道最大の難所。まだ見ぬ碓氷峠を夢に見て。 高崎から横川行きの信越本線に乗り込む。 横川(群馬県松井田町横川) 古来から中山道の宿場町。そして、釜飯のふるさと。 しかし、横川は今は信越本線の終点駅。かつては、信越本線の優等列車が何本も走る交通の要衝だった。機関車の接続を利用して、横川の峠の釜飯は売れに売れた。 私たちはそこからバスで軽井沢に向かった。妙義の山並みが美しい。 西上州特有の仙人が出てきそうな岩場だ。 軽井沢駅の二階のコンコースの凍えそうな寒いベンチで温い釜飯を頬張る。 私が食べた駅弁の中で最も美味いものであったことは今でも変わりない。 どんなに高い、そしてどんなに具材が豊富な駅弁を食べても峠の釜飯にはかてない。私の「釜飯論」である。 その二日後、松本から篠ノ井線で長野、そして長野新幹線で軽井沢に降りた私は、釜飯を三つ買った。 (拝啓。あのときの軽井沢駅での釜飯売りのおばさん。 お元気にしてますでしょうか?その節は大変お世話になりました。) その後、大宮に向かい、秋田についた頃には峠の釜飯は冷え切っていた。 10時間もかけて秋田に搬送した釜飯。 それでもうまかった。 それから1年半後の秋田市仁別。 私は何を血迷ったか軽量化の登山には大いに不向きな「峠の釜飯」の益子焼を持っていった。 おいしく飯が炊ける。ただこれだけの理由だが・・・・ ほかの釜とは何かが違う。そう思うのは私だけだろうか・・・・ 画像は私の食べた信越本線横川駅弁「おぎのや」の名作「峠の釜飯」 ☆参考ホームページ ・峠の釜飯本舗おぎのやHP ・山と渓谷 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2006/01/27 07:31:12 PM
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