カテゴリ:ヒストリー
さてさて、NHK「そのとき」見ましたが・・・・ま、45分の番組にしてはよくまとめたな・・・と。
どうも、司馬遼太郎の「峠」のイメージが強すぎるのか・・・・やはり河井さんは大河にしないとどうにも、個人的な満足とは相成らない。 というか、先までの胸にあった受験とか今後の「心のもやもや」が河井蒼龍窟のことを考えただけでパチッとおさまったのである。 単純といえばそれまでなのだが、どうしても河井さんの話だけは辛い。こうしている間でも涙がボロボロ止まらないのである。 河井継之助資料館に行った時も、ハンカチ片手に胸にこみ上げるものを押さえていたが、やはり堪えきれず堰を切ったように涙した。 鉄路で長岡を通る時も、必ず車内で手を合わせるようにしている。長岡への鎮魂と発展を願い・・・。まことにイマは平和になった。 たった百四十年前の話である。長岡の不幸は、まさに日本の不幸であった。 民は国の本、吏は民の雇い。 イマの世の泥棒どもに、ささやいてやりたいものだ。 どうしても私は、旅のどこかで蒼龍窟をおいかけているような気がする。 そして、日本の何処かで蒼龍窟に会えそうな気がする・・・・そんな気がする。 ☆河井蒼龍窟リンク ・河井継之助 - Wikipedia ・蒼龍窟が行く ・只見町・河井継之助記念館 ・幕末の越後長岡藩の軍事総督、河井継之助 ・河井継之助記念館 ・慈眼寺のホームページ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2008/03/05 11:28:28 PM
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