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テーマ:神奈川県の野球(639)
カテゴリ:思い出話
前回の「日記」に書いた「21世紀枠」県推薦校に選ばれた
「藤嶺藤沢」 で思い出した 日記の続きがあった事を 「雑草一つ落ちていない」2006年7月8日の日記 「続 雑草一つ落ちていない…」2006年7月11日の日記 今日はこの続きを ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 「藤嶺藤沢」で監督に復帰した「木本氏」 就任早々、校長に「3年以内に甲子園に行きます!」と宣言した。 きっと「3年計画で甲子園」と考えていたと思うが 就任一年目で「歴史を塗り替えてしまった」 85年「第67回大会」 絶対的「4番打者」が大会直前に大怪我で打の軸が無いまま臨んだ 『1回戦、2回戦』を「コールド」などで勝ち上がり 『3回戦』対逗子戦 「1-5」からの逆転勝ち「17-5」<ここから活き良いづく> この試合を勝った事をきっかけに試合に負けるまで、<縁起を担いで>負けるまでユニを洗濯しない事に 『4回戦』 藤沢北「9-1」で圧勝 『5回戦』 第1シードしかも今大会「1試合最多本塁打(5本)」「大会通算1チーム最多本塁打(11本)」<いずれもこの記録、今現在破られていない!>と神奈川の記録を塗り替えてきている強打「日大藤沢」戦「日藤」のお株を奪う攻撃で「11得点」「11-4」で快勝 『準々』 「武相」戦 「3-1」でリードした9回1死満塁のピンチで右中間に飛んだライナー、武相の走者一掃サヨナラ安打と思った打球を藤嶺センターが「奇跡のダイビングキャッチ」で万事休す<運までも味方に> 『準決』今大会旋風を巻き起こした「山北」好投手善波を打ち崩し「6-4」で初の決勝へ 「君たちは一番弱いんだから…」と1回戦から準決勝まで試合の前日、負けたらいつでも「合宿所」を出れるように3年生は「荷物の整理」をしていたチームがついに決勝まで来た。 『決勝』春センバツ出場校「横浜」藤嶺は「第2回大会」から大会出場しているが一度も横浜に「勝った事がない」しかも春季大会は「コールド負け」をしている。 試合前のミーティングで「負けてもともと、当たって砕けろで、思いっきりやれ」と言い続けていた「木本氏」が決勝試合前「今日は、絶対に勝つ、いいかお前たちも勝つということを忘れな!」と激をとばして送り出した「決勝戦」 追いついては、引き離され、6回2死からの「4連打」で逆転、終盤に更に引き離し「9-3」 野球部創設以来、初めて「横浜」に勝ち、初めて優勝してしまった。 投手起用、攻撃の戦術がピタリと当たり「木本マジック」とまで言われた采配は今でも語り草なっている。 その後、木本氏は母校「武相」の監督に就任したが この大会以降「藤嶺」は県内で上位校の位置にいる 「木本氏」の功績は大きいものになっている。 そして今回「21世紀枠・推薦校」に選ばれ 85年夏以来の「甲子園出場」なるか? まずは来月の「関東地区」の選考を見守ろうと思う。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2006年11月22日 14時18分23秒
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